静岡は春のようなお日和でした。
ただし風が強かったため屋根には上がらず、工事はずっと手付かず。
先日の強風で再び倒れ掛かった松に、提灯のスタンドの補修をしておしまい。
軒並み前年同期比ダウン・・・の決算と「冬が寒く、ドカ雪が降らなければ困る」といった企業関係の方の声が聞こえてきますが、私どもにとって温かい冬ほどありがたいものはありませんね。
そもそもここ南遠の地において降雪などまずあり得ないのですがこの時節がら、ありがちな脳溢血、心筋梗塞の容態急変の報せが皆無であることがまた何よりのこと。
しかし天候の予報違いからの経営ダメージを言われても庶民感覚としては「知るものか・・・」ですよね。
冬用衣料が、雪関係グッズが・・・ですがまた寒くなったら儲ければいいじゃん!・・・です。だいたい毎度降雪の雪下ろしで苦労している方々の声は「ありがたや・・・」しかありませんからね。
中国に進出した各企業も現状の新型ウィルスの広がりから御商売難儀の話題が上がっていますが、中国はじめ海外に進出するということはそういったリスクを承知の上であることは言うまでもない事。そのおかげで衛生用品特需で潤っている会社もありますのでお天気の件と同じ、まぁいろいろですね。
昨日は中国武漢からのチャーター便での帰国者の件、各局の報道がありましたがすでにそのうちの12人が入院、2人が肺炎と診断されているとのこと。恐ろしや~です。
また武漢からの旅行客を載せたバスの運転手とガイドの方が新型ウィルスにかかっていたことが判明していますが、「人⋯人」の感染は確定的となった今、チャーター便帰国者の皆さんについて、国の方策として自宅待機などいう「任意」ではなく「強制」でもって管理していただきたいものです。
「非協力」と勝手に帰宅した人もいたといいますからね。
ヒジョ―にオカシイことかと。
テレビで帰国者のインタビューを拝見しましたが、装着したマスクから鼻の孔が出ていました。
「マスクの仕方知らないの?」というのが第一の感想。
いたずらに騒ぐ必要はないかも知れませんが、「はいどうぞ~」の政治の点数稼ぎ的受け入れのみであったとしたらこの病を拡大させるきっかけになるような気がしますが・・・。
「マスクをつけたまま接客のご了解」なども色々なところで始まりましたが(春日大社の巫女さん等々)私も法事の際、特にご自宅の場合、マスクをつけてお勤めしたい・・・というのが本音。
さて、舘山寺博物館(こちらも)閉館について記しましたが、その近くの遊園地と化した山が堀江城。
ブログでは宿蘆寺と大沢基胤について記しましたがその大沢家一門配下に中安定安(中安兵部)という人がいます。
父親はその「堀江」を名のっています。
大沢基胤は堀江城にあって当初は今川方として家康と対峙しますがうまく立ち回って家康配下になります。
その後は徳川軍の一軍として江州姉川の戦い(元亀元年1570 野村合戦)に出征しますがこちら中安兵部はそちらで奮戦、討死したといいます。
勝ち戦とはなったものの遠く近江の地で亡くなった中安兵部がどのように遠江に運ばれたのかわかりません。遺体全てを運ぶ例もありますが戦いは真夏でしたのでそれはムリでしょうし。
堀江城を北に見る丘に墓地がありますが、その近くのハウスとハウスの間にこんもりとした塚に宝篋印塔が建っています。
そちらが「茂山塚」との伝承(場所はこちら)。
それは彼の法名が「勇将院殿茂山玄栄大居士」。
その院号「勇将院殿」から推するに余程の「男」だったのでしょうね。
墓地周辺が農地の開墾があってその存在が危ぶまれた時期があったことが伺える立地ですがその分、地元では大切にされていたことなのかも知れませんね。花が添えられていました。
残欠石塔の大小ありますが、一番大きいものが中安兵部と言われています。看板に記されている「三分割」というのは明らかに大きさの違う宝篋印塔であることがわかりますので夫婦墓の類かと。
今川方から家康に降る際の書状には大沢に次いで二番目に記されているのが中安定安とのことで(岩堀元樹氏)、当家筆頭の重臣だったこともうかがえます。
①画像の奥が堀江城。観覧車が見えます。
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