初場所千秋楽の相撲で優勝した力士の名について実は私はこの数日前までは「え~と誰だっけ」というくらい聞き覚え、見覚えのない人でした。
おそらくその人の名がこれほどまで連呼され、その顔までが画面や紙面にアップされたことは無かったでしょうね。
優勝のインタビューで顔をくしゃくしゃに崩して応答するシーンは妙に新鮮味がありました。そしてまた素朴さも。
その名は「徳勝龍」。
私の今ハマりつつある奈良出身というところも良かったです。
似たような名ばかりで聞いても右から左に消えて残らないというのがその世界の名ですが、じっくりとその字面を見れば・・・「徳+勝龍」ですから私の身近な語彙としては「勝龍寺城」がありました。
勝龍寺城といえば明智光秀が山崎の合戦で敗走して一旦逃げ込む城ですが、それ以前にも今節大河ドラマでもキーマンとして登場している三淵藤英~幕府奉公衆 劇中堺で光秀に鉄砲を紹介するシーン~の義弟が細川藤孝ですので三淵と光秀そして信長との関係の中、「勝龍」の名はこれから番組が進む中、何度も劇中聞こえてくるでしょうね(他の勝龍寺関係 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ )。
ということで当流でいう「功徳大宝海」の如く、阿弥陀広大なる慈悲をいう「徳」+「勝龍」で「徳勝龍」、しっかり覚えました。次回も気張っていただきたく思います。
さて昨日は初回大河ドラマでその三淵藤英のあとスグに登場した松永久秀がらみから名物の「平蜘蛛」がなぜか展示されていた舘山寺博物館について記しました。
昨年の早い時期に閉館していたことが分かったことも記しました。その平蜘蛛の消息について単純に思ったのでしたが、あの時画像を収めた数点について(撮影禁止ではありませんでした)引っ張っり出しました。
画像は谷文晁の百花百鳥図、尾形光琳の十二ヶ月図屏風、織田信長の書状。
そして他の書状や武具道具類、茶碗などの行先はどちらでしょう。
きっとお金持ちのコレクションだったのでしょうね。
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