昨日の詐欺ハガキの件、提供者から新情報を得ました。
周辺地区の皆さんで井戸端会議風の会話があったそうですが、「実は・・・」ということで「それなら私の家にも来た・・・」との人がいらしたとのこと。
まぁ詐欺グループとして片っ端に網を投げるが如くハガキを出しまくっている様子がわかりますが、その方もご主人を亡くして独り住まいの年配者。
家族の同居のある家にはハガキは届いていないといいますので、その選別を行っている情報はいったいどこから・・・と単純に思うところです。
思うにそういった情報といえばやはり役所かお寺か葬儀屋さんあたりか・・・などとカンタンに思いつきますが、寺の場合は守秘義務各宗派に「掟」がありますのでまず考えられません。
名簿を売る業者がありますが、これはどういったカテゴリーで括るのでしょうか・・・。地区単位で作られた町内会の名簿などから流出することも考えられますね。
ちなみに電話番号帳には載せていないそうですが詐欺のカモを探す名簿に載っているということになると今後手を変え品を変えの騙し技が控えているということを胆に命じるべきでしょう。
さて、当尾の新川沿いについて記しましたが(こちら、こちら)、その小径は浄瑠璃寺と岩船寺を結ぶバス通りから入ります。
その道の先には当尾の辻(「中心」を意味します)に繋がりますが、狭い道で尚覆いかぶさるよう植物が繁茂していますので、軽自動車程度の車でないと屋根をこするでしょう。
地元車優先の道路ですし勿論すれ違いなどできません。
効率が悪いこと承知で岩船寺の駐車場(300円)に車を置いて散策ということになります。
その道は畦道の如くの分岐から始まりますが、案内板を目当てに歩けばその途中に地域の集合墓地「千日墓地」があります。
千日といえば大阪千日に「道頓堀の道頓」の墓がありましたね。
こちらの千日にある墓石たちはまずそちらの墓石よりも古いものが目立ちます。
室町期のものが多いのですが、特筆すべきもの一番といえば何と言っても永仁六年(1298)の銘がある十三重塔です。
この塔は当尾の石造物の中でもあのわらい仏に匹敵するほど屈指のものですが塔にありがちな崩れて壊れて欠落したものが見えずほとんど原型なのです。
それではいつものように川勝政太郎先生の絶賛の評価を・・・
「辻墓地十三重塔」
重文 鎌倉後期 高約390㎝ 花崗岩
「鎌倉後期の見事に整った塔が二重基壇の上に立っている。
初重軸部の四方を舟形にほりしずめ、連座代に座る仏坐像を半肉彫する。その像容は鎌倉時代の風格を備えている。
屋根裏に一重の垂木型を作り出し、厚味のある軒は両端で力強く反る。
基礎の一側面中央に22㎝角の奉籠孔をうがち内は周りを残してさらに18㎝角にほりこみ、内孔の下辺中央に径6㎝程の貫通円孔を作っているが、石蓋は失われている。
基礎の刻銘は奉籠孔の向かって右側面にある。
摩滅甚だしく紀年だけが読める。
永仁六年(1298)戊戌(つちのえいぬ)八月▢日。
水烟つき相輪の宝珠を失うだけの実に完好な石塔である。」
ということで宝珠の部分のみ後補ということでしょう。
尚、石蓋は欠落しているだけにその中が見える奉籠孔の様子は素敵です。中をよく見ると石蓋を嵌め込むために作られたであろう小さな窪み様のものがありました。
奉籠孔とはそちらに何かを納めるための開口部のことで、基本的に舎利塔のイメージとなります。
舎利塔とはいっても仏舎利に準ずるもの(水晶・・・)に建碑者・当代権威者の遺骨、経典等色々です。
調査が行われているのかどうかわかりませんが中を見てみたい気持ちです。
ファイバースコープなら楽に入る大きさです。
また水烟とは塔の九輪の上にある火炎状の装飾。火事や水難を忌避したいとの表現ですね。
拙ブログにても各地層塔を時に記していますが、石造物の中でも「十三重塔」は殊に壊れやすくこれだけの美形を望めることはまさに奇特なことです。
まずは崩れて修復の繰り返しでどちらかのパーツが失われていくものなのです。
今年の夏で722年、果てしない時間の経過を思います。
5月の拙寺バス遠足では浄瑠璃寺付近を歩いていただくことになっていますが、さすがにこちらまでは案内はできませんね。
勿論、大型バスが入れるところではありません。
最後の画像が岩船寺の駐車場代金。
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