歳を重ねて「その時」が来るまでに「いくら必要」などと騒がれています。
切実なところは大いに理解できますし私もやはり不安なところでもありますが・・・
しかしその心配(貯金)をするよりも、その語呂合わせで何よりも「貯筋」が大事と言われています。
昨日記した映画の中で伝えられた通りたとえお金があったとしても「時間」は買えませんのでもっと違うものを貯めるよう心がけよう・・・というのが健康寿命の基本である「筋肉の鍛錬」です。それはそれはお金があればそれに越したことはありませんがね。
筋肉維持・持続が健康維持に不可欠(フレイルの予防)ということですが、やはりそれは昨日の映画のエンドに流れた曲の歌詞、「立ち上がって外に出よう」なのです。
中には立ち上がることができない方もいらっしゃるかと思いますのでそれなら座位でもトレーニングしなくては。
外に出にくいというハンデがあるのは辛いでしょうが「貯筋運動」は誰のためでもなく本人の仕合わせに通じますからね。
畏れ多くももし私が100年の寿命を長らえることができるとして、フレイルと痴呆の時間をいかに少なくするか・・・それはただ自身の心がけです。
さて、久し振りに蕉園渉筆から。
その31番目の記述はとても短くて意味も分かりやすいのですが、
蕉園自身はそれについて「よくわからない」と歯切れ悪し。「蓋」はもしかすると・・・ですからね。
そちらが
「西山寺村山中 有一柿樹 寒中結実 蓋異樹也」
西山寺とは当地の古刹です。
蕉園は周辺の寺院についてその時感じたことを記していますが、こちらはあたり障りもなくほんの少々の観想でおしまい。
「西山寺村の山中に柿の木があって真冬に実を結ぶがこれは柿とは違う木かもしれない」とのこと。
何の事やらと思って冬の西山寺周辺をブラついたことがありますが、まったくそれらしき果樹は発見できませんでした。
蕉園が見た「柿」と思わす果樹はいったい何なのかこの目で確かめたかったのです。
要は暖系色の何かを見つければいいのですが、お寺の西側の台地上を歩いても「これだ」と思うそれの発見には至りませんでした。
西山寺の門前から相良方面に帰る際、東側の丘の上に「赤」の鮮やかを主張している木がありましたので確認に。
こちらはサザンカでしょうか。
まさかこちらを「柿」と間違えるワケがありません。
③④のカラスウリも色的には柿に似ていますが蕉園がそれを知らないはずもなく・・・。
⑤⑥は最近の野山の柿の様子ですが実がしっかりとあります。
秋ごろから生って熟しきった柿はそろそろそのまま干し柿になりそうな有様ですが鳥たち憩いの場となっています。
私の推測ですが、やはり蕉園の見たものは柿ではなかったのでしょうか。
食糧事情の難しい時代とあって、折角の自然の恵みを収穫しないことは考えにくいのですが、私が以前から聞いていた事は、自然の恵みは人がすべてを取り去るのではなく少々の「お裾分け」を他の生き物たちのために残すものである・・・という考えがあるということ。
「足るを知り他と分かち合う」という謙虚な生き方に通じるものがありますが、その蕉園が江戸からやってきた頃といえば「蓄えて増やす」という発想が闊歩しだした時期、すべての果実を得ず、厳冬期にも尚その実を晒すその姿に違和感を覚えたのかも知れません。
⑦は蝋梅満開の様子。野に春の香りを漂わせています。
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お祭り大好き (木曜日, 23 1月 2020 11:37)
菅ケ谷の隋林寺裏山には「常葉柿」というドングリと同程度の大きさの丸い実がつく柿があり、秋に落下しません。
昨年裏山の大木は倒れましたが、本堂前に1本移植した木があります。
小島焦園のいう「柿」に該当するかわかりませんが、知名度は低いも牧之原市の天然記念物に指定されていると思います。
今井一光 (木曜日, 23 1月 2020 12:39)
ありがとうございます。
「常葉柿」の件初めて知りました。柿そのものの存在もまた相良にそのような植物があって町指定になっていることも・・・
隋林寺なら西山寺にも近く、まずは小島焦園のいう「柿」とはそれでしょうね。
それを名物とすることを提案しようかとも考えます。