先日、地元の方との雑談で「〇〇の人はキツイ」(〇〇は地区名)の談。
面白そうなので「へ~ぇ」っとそれについて食い下がって意味を探りました。
その方は年配の女性で、とても気さくな方。よく私も色々とご指導をいただいています。
その方の住まいは相良でも山間部で半世紀以上はそちらにて生活している方ですが、この狭い町、相良にあってそのエリアによってその人たちの性質について相違があるというものです。
まぁ経験測からの感想なのでしょう。
そちら出身の方との関わりが多く重なってそのイメージが固まったかそれともたまたまあまりにも強烈な性質の人との出会いがあったのかは知りませんがその方が断言する「〇〇の人はキツイ」にはインパクトがありました。
勿論アホな私はニヤニヤしながら「じゃあ、波津は? 相良は? 」と立て続けに聞いてその方を黙らしてしまいましたが。
その方が言うには昔から海岸端に居る人は、漁に出る人が多くて荒っぽいから・・・と仰っていました。すべての言葉が強く喧嘩腰と制圧される感じとのこと。
そういえば、私のいた小田原でも特に海岸近くの人たちは言葉が汚かったような。他所から来た人だったら驚いてしまうかも。
まぁ「ところ変われば」と言って住む場所によって人の気質というものが微妙に変わるというのはわかりますが、それは尾張、三河、遠江・・・のようにもう少し広範囲のエリアですからね。
その地には檀家さんは一件もなくイメージは沸いてきませんが何しろ驚いて、「〇〇の人」の見方が少し変わったような。
しかしその手の発想というのは実は旧態依然の差別意識に繋がるやも知れないこと。
「○○の人は・・・である」の何気ない会話は特に子供たちには禁物です。笑って流せられない無邪気の中の悪意というものを醸し出しかねません。
その方の話の中で、それは特に年配者の口から出てきますが「〇〇の人たちは顔が似ている」なる言もありました(上記〇〇とは違います)。
これは差別が蔓延する時代(それは戦後かなりたっても残っていました)、地区の外との婚姻関係についても差別がずっと残りました。よって婚姻が長い間同族間で繰り返されていた歴史があったことを仰っているのでしょう。
たしか妹の結婚の際、夫の両親は「念のため」と調査をしたといいます。その「念のため」というのがそれで、ひょっとすると狭い日本にあっても今も尚残っているかも知れません。
日本史そして地区の歴史など紐解いていると否が応でもそのあたりの色々を知りうるわけですが、それについては子供には伝えず先入観は植え付けないよう心掛けています。
こればかりは消し去らなければならない負の歴史ですね。
さて、先日史跡研究会の小澤会長から史料館に来るよう連絡がありました。先日の激しい雨の中、躊躇しましたが暇ということもあって史料館に向かいました。
すると「相良海老」に添付する画像を全ページ差し替えるということでその撮影が行われていました。
本は書き下し文と原文を照合させながらページを捲るタイプになりますが、「今イチ解像度が悪い」との指摘があったそう。
カメラマンに聞いたところでは、そもそも書物を撮影するようなカメラではなく「本来は動体が得意」のハイエンドカメラ。
本体とレンズで100万円を超えるような代物といいます。
五部ある「相良海老」を全頁撮影するというのはラクではありませんね。二人がかりの気の抜けない仕事です。
ページ捲り役は特に慎重。
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