NHKのBS「偉人たちの健康診断 明智光秀 本能寺の変“敵は腸にあり!”」を視聴。
特に犯罪心理学の切り口から光秀の深夜漆黒の闇の行軍の中、醸成しつつあった信長への「怒り」の爆発、沓掛の二俣の選択について面白く解説していました。
ちなみに沓掛とは亀山から出立して中国と京都本能寺方面への分かれ道(場所はこちら)。
同夜は新月で夜空に月はなかったようです。
また多聞院日記の御ツマ木の件も指摘されていました。
何より光秀は「本能寺」の6年前に「ふうり」なる腸の感染症の病で数カ月寝込んでいて、当時の医療最先端にいた曲直瀬道三の治療を受けていたといいます。
長患いの快癒後に妻を亡くしたうえ、その病から発展したという「レビー小体型認知症」(推測)によって「本能寺」が惹起されたというものでした。
光秀の大河ドラマ放映を前にして新説が次から次に出ていますが、今俄かに言い出されているのが「光秀若き頃は医者だった」というものですね。
論拠は「針薬方」なる文書で、熊本で公開されるようです。
熊本藩細川家の医者米田貞能家に伝わる医学書で6年前に発見されたといいます。
その件、今回の大河ドラマで台詞の中に差し込めればカッコいいですね。
さて、昨日は少々の風はありましたが歩いていてジャンバーがひどく邪魔と感じるくらいの暖かさになりました。
年末から新年にかけて色々なことが重なってどちらにも動けていませんでしたので気分転換に奥方と駿府へ。
数日前に天正期の天守台の並びに小天守の天守台が見つかったという報道がありましたのでその位置だけでも確認したかったのです。
案の定現場は立ち入り禁止になっていて目視できませんでしたし、まだその手の配布史料も出来上がっているワケもなくただの自己満足でした。
岐阜城金華山でも発掘調査が進んで、「信長の手による天守閣の天守台石垣が出た」との報がありましたが、そちらはまだ確証はないようです。
各発掘調査の進捗と文書の発見から歴史の解釈が次々と変わり、見ている方も頭の切り替えを早くしないとあっという間に置いて行かれそう。
画像①②は東海道安倍川の橋上から。これだけクリアな富士山は珍しいことです。
画像⑦右側の2本木が生えている所の下あたりから石垣が出てきています。
家康お手植えのみかんの木の間に通路がありますがその向かい側の発掘現場用のフェンスを拡大していく必要があるでしょうね。
しかしあれだけ広大な発掘現場を「どうぞ・・・」という感じに気楽に散策できるように公開するというのは稀有なことなのでは・・・。駿府に立ち寄るのが楽しみです。
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お祭り大好き (金曜日, 10 1月 2020 15:16)
駿府城公園の見学お疲れさまでした。
静岡市は芸人を含めマスコミの取材を優遇する一方、一般のみなさんを冷遇する傾向にあります。 案内所「きゃっしる」のなかにタレントなどのサインを自慢げに掲示や金箔瓦はマスコミ報道とは異なるものを展示などもひとつの特徴です。
天正期の遺跡発見は大ニュースですが、慶長12(1607)年築城時の石垣に「刻印石」が残されているも消失化が進んでいるにも拘わらずほとんど保全措置が取られていません。
また、歴史文化施設建設が具体化しているも今川義元木像など複製品の作成展示を進めており、残念ながら近隣市にくらべると本物の歴史遺産保全の関心度は極めて低いと感じています。 近隣市のような熱心な学芸員が存在しないのも一つの要因?
今井一光 (金曜日, 10 1月 2020 18:58)
ありがとうございます。
静岡市は(私が牧之原市に住んでいるせいか)それでもうまくやっていると思います。
弁護するわけではありませんが予算に対して、文化財が多様に存在するということもあって手が回らないのでしょう。
そもそも歴史というものに経済モットーで生きている人たちにとって「無意味」といっては言い過ぎかもしれませんが、やはりその価値意識は低いでしょうね。
また、芸能人を引き入れて宣伝した方が世間様にはより身近に感じてもらいやすく幅広い世代に訴えられるという初歩的手法を選択するのは致し方ないかと思います。
それでもようやく駅北口に義元像を建てるという話が実現に近づいていますので、少しは変わりつつあるのかと感じています。
そもそも道路を通すためにいくつの山城を壊し遺蹟があることを承知して開発の手を入れて来たのか、数え上げればキリがありませんね。
今回の各天守台の発見で、一時あがっていた推定天守の建造がストップしたことは良かったと思いますが・・・