一所懸命史観は一所不住に 背井離郷 福知山城の井

若さは素晴らしい。

それは大いに結構なことで私もそのパワーとバイタリティにはもう既に白幡をあげる齢になりました。

しかし、しばしば経験不足から来る若者の失敗談はよく耳にします。

要は経験不足というヤツですが、その成長の未熟を感じずにはいられませんね。身近な若者といえば息子のことでその頻度は少なくなりましたが年に何度かはまったくもってがっかりさせられることがありますね。

 

要は「知らない」ということで仏教的にはそれは「罪になりうる」イケないことではありますが、一般的に「しょうがないねぇ」で済む話がまたぞろ。命あっての結果オーライならいいのですが。

しかし「知らなかったでは済まない」といった場面も多々ありますね。

それが「命に関わること」全般です。

 

ほんの一例ですが、たとえば可燃性物質を空気中に放出して引火爆発させて惨事を起こすことなどよくあります。

若者が車内でシンナー遊びをして・・・、防湿スプレーを撒いて・・・などなどですが、イイ歳した大人で消臭剤を撒いて処分しようとした挙句引火爆発させて周辺地域を大混乱に陥れたことなどつい最近の事案でした。

また京都での大量殺傷行為となったガソリン放火事案など、当初は自身の大ヤケドにあれほどの大惨事までは想定していなかったでしょう。

 

これは可燃性物質と空気が(密閉空間など)好条件でミックスされたところに何かの引火があった場合容易に爆発するということで(それは小学校の理科で教わったことでもありますが)、その現象がよくあることを理解していなかった(知らなかった)ということに他なりません。

 

知っているか知らなかったで、痛い思いをするかしないか(死ぬか生きるか)に繋がってしまうのですから「知らなかった」では済まない「残念な事案」が多々ありますね。

 

だから息子には外に出てよりたくさんの知識を得て欲しいと思うわけです。それがたくさんの経験を重ねるということ。

できれば坊さんだけではなく、色々な職種でそれを得て欲しいものなのですがそれをやっていくことは結局私のような半端者ができあがりそうで親としては半ば怖いものがあります。

 

それを親バカとでも言うのでしょうが、やはり獅子の如くの振る舞う(崖から突き落とす)ことがホントはあるべき姿なのでしょうね。とにかく私は「井蛙」であってはイケないと思っていますが・・・。

 

「井」と言えば当家の名のりの一字ですが、井戸端会議とも言うように「井」はムラの生活の中心になる場所。

清らかな水は日々生活の基本であり故郷の味です。

そこから離れての生活などは考えられませんし、その井戸というもの自体掘削に多大な労力がかかっての最大の果実、水が得られる権利があるわけです。

他所で水利を得ることの困難を考えれば、その井にすがって生きた方が遥かに楽でしょう。私的に川から水を得る行為が対立を生む時代がありました。

 

「背井離郷」(はいせいりきょう)という言葉がありますが、これは「故郷、慣れ親しんだ水の味を捨てて新地に向かうこと」を言味します。

一つの決断ですが、これから味わう苦労を経験知識として身に着けて一回り大きくなって故郷に帰って来られれば・・・というポジティブな離反を感じます。もっとも離散・逃散しなくてはいけない場合もあったでしょうが。

昨日も記しました「外に出ろ」と同等でしょう。

 

世間大好きな言葉「いっしょ(う)うけんめい」について拙ブログでは度々その「懸命」とは「一生」ではなくて「一所」が歴史的に見て「正」である旨記していますが(現在はどちらも正解のようです)それは一言で土地というものを家と結びつけて死守伝承していくという至上命題のもと命を繋いできた歴史があるからです。

しかしその言葉とは相反する「一所不住」という言葉もありました。

 

その言葉の発祥は浄土教系の先達の生き様からですね。

一所懸命が煩悩のままに自由奔放に生きることを言うのに反してではありますが、初期浄土教から生まれたその伝道とは一所の井戸の近くに居たままでは限界があったからですね。

要は遊行僧で空也や一遍の聖(ひじり)たちがそうでした。

 

「厭離穢土」の思想はその「井戸」(現実世界の生活)も十分汚れていて現実の「門を出なくては始まらない」というものですからそういった日常から離れることが第一義であるという思考が生まれその「一所不住」(捨てる)に至ったのでしょうね。

 

ちなみに真宗の坊さんは「同朋」「凡夫」の集団の中から「自宅を道場」にしようと提供者が出現し、その「自宅」に「講」を開いたというのが寺の始まり。

それを主催した者が坊さんとなって代々その家を継ぐものが坊主として寺を引き継いだという形態だったことはどちらかブログで記しました。

 

今の大概の人たちはといえば「一所不住」で故郷の水を捨て、都会で「一所懸命」、臭い水を飲む・・・そんな状況でしょうか。

息子には「一所懸命」ほどほどでの「一所不住」。

うまいこと色々な経験を積んで帰ってきて欲しいものです。

取り敢えず「外に出る」ことはできましたので。

 

画像は福知山城「豊磐井」井戸の深さ50mで海面下7mといいます。この高さで水深37m、井戸掘りは朽木の時代だったそうですがどれだけの苦労によって「水」を近くに求めたのでしょう。

それだけ「井戸」は命に関わる生活に不可欠なものでした。

 

最後の画像は同じく天守の下にある銅門番所。