日本のペットボトルの消費量に関して国連からチェックが入っているようですね。
何せ「廃プラ出しすぎるので何とかしろ」ということです。
まぁペットボトルだけではないでしょうが「プラスチック容器」のくくりでその国民1人当たりの排出量は年間約32キロに及ぶとのこと。
それほどの廃プラを出していたことに驚き、反省させられましたが、その数字は米国に次いで世界2位の排出量と。
そのうちのいくらかの量が自然界に漏れて、結局は何らかのカタチで自分の首を絞めているのですから。
やはり「自業自得」だけでは片付けられませんね。
今、環境負荷のことを第一に考えなくてはならないことは人類の至上命題ですからね。
以前、ストローについてその絶滅は早そう・・・の如くブログに記しましたが、思わぬ速さでその不使用や代替品が登場していますので今一番に言われるようになったペットボトルの件、その生産と使用について「反社会」を言われるようになるかも知れません。いずれは消えていく素材でしょう。
そもそもプラ容器でもアレは加熱製品を滅菌の効果を狙って封入しますので、プラスチックが製品に溶け出す恐れがありますからね。体にイイわけありませんよ(→環境ホルモン 雌化)。
さて、昨日は福知山の復元天守の画像を適当にアップしましたが、何といってもあの城は野面積みの天守台。
石塔の基台など墓石がふんだん(500とも)に使用されているところに面白味があります。
安土城大手道にも石塔の少々の使用がうかがえましたが、その比ではありません。
天守台下に張り付いて、あれもこれもと墓石探しに目をやるのが楽しみになります。
一応、城郭大系のこの項ついて見れば
1 小笠原長清の後裔塩見大膳頼勝の掻上城
2 頼勝の子頼氏が姓を横山に改める→横山城
3 天正期に頼氏の子信房がいたが天正七年に明智光秀に攻
められて滅亡
4 光秀は城代に藤木権兵衛と三宅弥平治(明智秀光)を置いて近
世城郭化
5 天正八光秀は天橋立見物の途中秀満から七五三の膳で振舞
を受ける(津田宗為「茶湯日記」)
6 光秀滅亡後豊臣秀勝―北政所叔父杉原家次―小野木縫殿助
重勝
7 重勝は関ケ原で西軍方。東軍の舞鶴城細川忠興の父幽斎を攻
めるが幽斎もちこたえる
8 関ケ原で決着したあと細川忠興は舞鶴への帰途に重勝を攻
め滅ぼす
9 有馬玄蕃頭豊氏入り城下を整備のち久留米に転封
10岡部内膳正長盛が亀山より のちに大垣へ
11稲葉淡路守紀通が摂津中島より のちに乱心して自害
12松平主殿頭忠房が刈谷より のちに肥前島原へ
13朽木伊代守稙昌が土浦より 朽木氏十三代明治まで
近世城郭の手は明智ということになりますので、天守台に墓石を使用するという荒業は新統治者としてのメッセージ(前統治者一統の墓の上に立つ新統治者)かもしれませんが、明智が滅ぼした横山氏に関わるものかそれ以前の墓をその統治の主体の礎に使用したのでしょう。
手っ取り早く城を構築できることは何より有意ですからね。
それにしても夥しい量で問答無用の石材集めがあったように感じます。
再建天守ながら、当時の図面から起こしたもののようですし、その形状も美しい。天守閣も真面目な発想(想像推測ではなく)で作られたものであれば悪くないですね。
それに加えてこの天守台の妙、一度で二度楽しめるとはこのことでしょう。
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