新年早々、恒例憎まれ口失礼します。
幸運祈願の声が聞こえてくること多し、そのシーズンではありますがこればっかりは「禍福は糾える縄の如し」(史記)の通り殆どローテーション・・・。
統計学的にいっても双方巡って「チャラ」になるということでしょうが、まぁそれは合点のいくところではあります。
毎度の一休さんの歌を引っ張れば
「門松は 冥途の旅の一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」
年明け恒例の1フレーズのアレ、一休さんの疑問の痛烈ですが、とにかく人の想いなどとは関係なく上下(幸不幸)振幅があるとすればただゼロに向かって収斂していくものなのでしょう。
上ばかり見ていいても下にも落ちる(こともある)ということです。
仏教でいうその「幸せ」・・・仕合わせ・・・について勝手な解釈をすれば「機縁」、つまるところ「すべての物事との関わりあい」の事ですから自らの禍福についてとかく願望利益をどうこう言うのはちょっと違う。
そもそも現代の社会というものは今一つの足りている物に満足できず二つ三つと欲しがるというのが常で、その強欲は計り知れません。一体どこまでを「幸福」というべきかその物差しも無限級ですからね。「無常」にあるのに「常欲」という矛盾に生きているのです。
また一休さんの歌から取れる「仕合わせ」を考えるに人間というものには必ずついて回るその「無常」がそのベースにあるのではないでしょうか。
ということは「仕合わせ」とは「時間の利益」とその頂いた時間の中で遇った機縁(関わり)の奇特、有難さを慶ぶものであって個人の物的要求を満たすものではないものと。
それら人人の願望(いわば私利私欲)について「承ります」の誤解を与えてしまった感。私たち宗教界もまた仏法を曲解していると指摘されてもしょうがないかも知れません。
そもそも「御利益がある」を参拝の主眼、導入部に置くということは企業のコマーシャルみたいなものかも。
本来仏教からしておかしなことになってしまいます。
ということで当流の「仕合わせ」について復習すれば・・・
とにかく私が今あること、私への他者や各事象との関わり機縁の感謝を言うのであって結果的にそれが「私」の利にかなっていれば更に慶ぶということ。
「有難う」・・・「有ることが難しい」ことへの感謝ですからね。
今の風潮は「ただただ他者を蹴落としてでもゲットする」風潮強くそれが圧倒的、将に世紀末の様相の如くです・・・。
一つ年を重ねたことによっていよいよ、「時と人・物(自然―じねん)との関わり」を重く感じています。私と言えば無常の中にいて「無事」を願うばかり。勿論それこそが一番の仕合わせ。
相良の殿様、田沼家の不運・不幸について色々言われていますが、田沼意次の嫡男意知が若年寄にまで出世し、絶大な権威を持つ父の右腕となったという事実が大きいのでしょうね。
これは田沼体制盤石の体制を内外に示すことになりますが、この件は反田沼派にとっては相当の怒りと反発そして焦燥感まで抱かせたでしょう。
慣例では将軍世継ぎ継承とともに幕府中枢は総入れ替えというのがパターン。田沼嫌いの反発者がいたとしても「時の利益」(時間さえたてば将軍か意次が「無常の嵐」に・・・)というものを期待してひたすら我慢を決め込めばある意味心は休まるというものですが、その後継者が出て幕閣中枢に入り込んだとなれば相当の焦りと怒りが増長するでしょうね。
意次としては息子の若年寄出世が結果的に「両刃の剣」となったことを予想できなかったのでしょうか。
いや私は勿論意次はそれをリスクとして承知していたのだと思います。一時代を築いた田沼意次でしたが、改革の為にやはり時間というものが足りなかったのでしょう。
その「時」を得るために嫡男に任せようとした結果が悲劇につながったのかも。
特殊要因・・・江戸時代、将軍が変わればこれまでのスタンダードが即座に引っ繰り返ることなどままあったわけで・・・
①は相良史料館脇に立つ予定。
意次銅像建立のための募金をお願いしています。
詳細はこちら。②は地元テレビにて紹介の図。③は先月史料館で催された藤田先生の講演会。
④先日購入した越前水羊羹の続き。別会社のものです。
喉ごし良くすっきりとお茶と一緒に。
冬でも違和感ナシ。
当地にも大分進出してきています。
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