通夜が終わってあとは葬儀式を残すのみ。
「ついてない」とボヤいていれば予報されていた雨は大したことなく無事に通夜勤行は終了しました。おかげさまです。
寒さも例年の今頃とはちがって震えるような寒さではなく許容範囲。何しろ風が無かったのはよかったです。
各方面からのご参りの皆さまそしてすべての御恩に感謝いたします。
あとは本葬を残すのみですね。
さて、お寺ならではの葬儀で致し方ないのですが、お寺の親族のそれ、特に施主という立場はなかなかストレスが溜まります。
父親の際もそうでした。
結果オーライではありましたが、いつもの「思い通り」が行かないところです。
いろいろな方たちの手を借りて大いに感謝すべきところですが、私はそもそもシンプルで簡素が好み。
そして形式、慣例というものに対して「緩い」、というか「あまい」というか、何かの枠の中に押し込められることは本意ではないという質なのでその応力抑制のコントロールと維持の努力は一般的なそれよりも少しばかり変わっていて、それが苦痛にも感じます。
経典の道を歩む者につきものの「掟」さえ守れれば「流儀」は「二の次・・・」の勝手なのですが、その二つは微妙に重なっていますからね。
儀式的なものに関しては私の一存にて何とかなりますが、その他事の運営に関しては私の意思の外で動いているお話。
「おまかせ」とは言っても「え~」と思うようなことは多々発生します。
今回の葬儀は名目上、「婦人部葬」として父の「檀家葬」と分けて明示しました。「私」が施主ながら主催は「お寺の~」になります。
拙寺には以前から、世話人会の男衆、婦人部の女衆という考え方があってそれが果たして時代に即しているかどうかわかりませんが、その「分けて・・・」の考え方を踏襲したというワケです。
「女性」を前面に出すという意味合いもありましたが、どう考えても男衆の力を借りなくてはどうにもなりませんからね。
また今回の件で一番に苦慮したのは葬儀社の選定。
それまで、それは厄介なことと考え結論をずっと後回しにしていましたが「その時」にあたり瞬時に決めなくてはならない状況に追い込まれて、A社にお願いすることになりました。
この地区の昨今の葬儀式差配の業といえばAB二社になりますが、前回はB社にてお願いしていましたのでこれはいわゆる「代わり番こ」の結論です。
しかし、Bとの関わりが強い(仕出し、弁当、供華等)拙寺の檀家さんが比較的多くあってそういったおつきあいがなくなってしまう不礼不義のおそれがありました。
かといってAとも関わっている檀家さんもありますからね。
またABとも普段多く関わらせていただいていますのでこの「代わり番こ」の選択はいたって合理的なもの。
そしてこの手の件、日頃煩雑と思う滅多にしないことばかりが時間制限アリで迫りきますのでつまるところいつもの「おまかせ」という言葉で自分の心を修めることになりますね。
とにもかくにも「往生一定 治定」の身ですのでそれについての配慮・儀礼については「大事な事はわかるがさっさと終わらして・・・」と、母にうしろからどつかれているような気がします。
画像①②は昨日のテレ朝系全国放送「グッドモーニング」の一コマ。
外ネコ「舞鶴殿」のテレビデビューです。
奥方は「ご出演おめでとう」と特別食で振る舞いました。
気楽にいくしかないです、何ごとも・・・
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