檀家さんのアマチュア写真家の方の直近の被写体について聞きました。
勿論「紅葉」主体ということで、先月末に京都へ向かったそうです。その第一目標が比叡の麓、瑠璃光院だったとのこと。
10時にチケット売り場に並んでイキナリ「3時間待ち」を告げられて唖然として退散したといいます。
そちらのお寺は普段は非公開ですが、春と秋に特別公開していますがそれに集中するようです。
私がこのお寺の名称を見た時は真っ先に「ああ、ご本尊は薬師如来のお寺ね・・・」と思ったのですが、実はといえば浄土真宗で本尊は阿弥陀如来というのが驚きでした。
こういった過剰に混雑するお寺には前のりして朝8時頃から並ぶ気合が必要なのでしょうが、私はその紅葉と人混みのセットは遠慮したいところ。
特に特別公開の京都の「春と秋」は禁忌ですね。
瑠璃光院を退散して向かった場所といえば、タクシーの運転手に案内された穴場のお寺。
「混雑しない紅葉のキレイなお寺」とリクエストしたらまずまず満足できるお寺に案内されたとのこと。
この時期、京都に足を踏み入れることは特に避けなくてはなりませんが、昨日見たテレビの嵐山の異常度はまさに地獄の沙汰。
一般道が歩行者天国化していて車で移動することは不可。渡月橋を渡り切るまで1時間かかるとのことでした。
不思議で不思議でならないのはなぜそこに人々は集中しなくてはならないのか。
紅葉を愛でるならそちらに限定する必要もないでしょうに。
結論としては群集心理ではありませんが、みなさん集団行動がお好きで、右といえば右。単独行動が苦手で不安になるのかも知れません。
世に「インスタ映え」なる語がまん延していますが、ネットであっという間にその「映え具合」が広がり「我こそは・・・」になるのでしょう。
静かでのんびりの秋の京都を味わうなどもはやあり得ないのでしょうね。
嵐山は今やいつ行っても修学旅行の書生さんから海外からの観光客で溢れかえっていますが、行くとすれば盛夏か厳冬がいいですね。
人々が外に出たがらない時がねらい目になります。
きっと今頃はごった返していることでしょうが、秋の嵐山、小倉の地の風情を歌った西行の歌碑があるのが二尊院(またはこちら)
です。
「我がものと 秋の梢を思うかな 小倉の里に 家居せしより」
西行の住まった小倉の里はもうありませんね。喧噪の嵐が吹いています。
近くには高浜虚子の句碑もありました。
「散紅葉 ここも掃きゐる 二尊院」
オフシーズンのこちらは閑静な空気が流れています。
二尊にお参りしたら広大な墓地を散策するのが楽しいお寺です。
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小山昭治 (木曜日, 05 12月 2019 08:58)
大嘗宮の見学を断念しました。あんな混雑はまっぴらごめん。先週京都へ行った友人も「混雑で原宿みたい」の一言。日本人はどうしてこうなんでしょうか。これも日本経済発展のため。それでなくてはお金が動きません。これでいいのです。いやな方は行かなければいいのです。私もイヤです。
今井一光 (木曜日, 05 12月 2019 18:45)
ありがとうございます。
面白そうなものを見物に行くというのは、それがどうであれとにかく滅多に行かない場所に行くという事実。
行列と他人様の後頭部の見物はカンベンしたいですが他にも新しい発見はつきものでしょう。またいつもと違う食べ物も口にできるというわけで・・・ということで「表に出かける」理由付け、大義としてそれを考えればいいのでしょうね。
家に居て悶々としているより外に出ればずっと頭を使います。
「まっぴらごめん」も思わない流されるだけの従順は怖いですが。
私は真冬の人のいない墓場と城への誘惑に今かられています。