妻木城と妻木八幡宮を結ぶ直線のど真ん中 崇禅寺

ようやく晴れ間が出ての外仕事。ペンキ塗りでした。

境内に日差しがある午前中はともかくとして風が吹きまくる午後の日陰での腕だけを動かしているその仕事はもはや限界を感じました。

ひーひー言いながら庫裏にて温かい茶などすすっていればテレビからは秋田県内吹雪の画像。

角館の知り合いを思いつつ、行きたいけど行ったとしたら「即死する!!」などと思ったところです。

北海道などはすでに「相当」なのでしょうね。

まるで台風が北から降りてくるような暴風雨。

 

先日の荒天には遠州は竜巻が起こっていました。

遠州に空っ風さえなければもう少しは我慢できるのですがね。

 

さて、先日は「恋」は「なきひと」「亡くなったひと」への思いの意・・・と記しました。

そして今一つ思いついたのがあの多聞院日記」。

その中の「惟任の妹」の記述です。

 

惟任ノ妹ノ御ツマキ死了・・・惟任ノ妹ノ御ツマキ死おわんぬ

 

信長一段ノキヨシ也・・・信長一段ノ気好也

 

向州無比類力落也・・・向州(日向守光秀)比類なく力落す也

 

「キヨシ」を「気好し」とあてて「お気に入り」と解釈しましたが、キヨシ→コイシ→「恋し」の変化だったりして・・・などと思い起こしたわけで。

そう解釈すると次に続く光秀の「比類力落也」と同様の信長の(一段の)「思い」が推察されるというものです。

いよいよ「恋」の文字が「今は亡き人」への憧憬の思いの意であると感じます。

 

あの大河ドラマはなんとか新年2週の遅延で済むようです。

久し振りの大河の主役は明智光秀で戦国ファンにとってはテレビの前に陣取る大義ができたわけですね。

振り返れば今回の芸人の短慮にはさぞ迷惑された人も多かったでしょうね。

「最悪」という声が聞こえてきますが番組が始まっていたころに発覚していたらもっと酷いことになっていたでしょうよ。

一件落着でNHKとしては安堵したことでしょう。今後も大変そうですけどね。

私どもは受信料を支払っていますので、NHKさんにはその被った損失に関してガッチリ怠りなく回収の段取りをして欲しいものです。罪は赦せたとしてもおカネは返してもらわなくてはなりません。

 

拙ブログでは明智光秀関連とそれを一括りにしてまとめています。前回は8月末に何やら記しましたので、そろそろその流れに戻ります。

上記「多聞院日記」に登場する光秀の妹という「御ツマキ」の名が妻木城の「ツマキ」からとられていることを大いに推測するところですが、その妻木城と妻木八幡宮を結んだ線、南北の直線のど真ん中にあるお寺が光雲山崇禅寺(そうぜんじ場所はこちら)。

文和三年1354初代妻木城主土岐頼重の創建といいそちらの山門が妻木城士屋敷から移設されたものといいます。

 

階段上の鐘楼門といい古き時代の門構えで味がありますね。

一番に驚かされたのが黄色鮮やかな塀。

瓦は勿論その塀にも各所に桔梗紋が。

「土岐・・ときは今」を主張しているようにも感じました。