水月堂 惜しいかな運慶千手観音像 今川家臣福島

75歳以上の後期高齢者がお医者さんにかかる窓口負担が3年後には2割負担に引き上げられるようです。

年金も75歳からなど選択肢を推奨されるなどこのお国、余程おカネに困っている様子。

「お前は余計な心配するな」でしょうね。

息子に言わせれば例によって「生きながらえたいのか・・・」と一笑に付されるところ。

負担は生きている者の勲章だと思えばいいのでしょうが、生きづらさとしてボディブローのように効いてくるでしょうね。

当然にその頃といえばお医者さんにかかることが多くなるでしょうから(生かされていればの話)。

 

さて、駿府城というか浅間神社にほど近い住宅地(地番としては安西)に「水月堂」なる風流な名の小さなお堂があります(場所はこちら)。

運慶作の千手観音が空襲で焼失したとありました。その件こちらに於いてもさのような残念なことがあったことを知って心が痛みました。

掲示板縁起によるとこの堂は

「安倍郡籠鼻の井宮にあった圓皆寺」なる寺の僧の創建とのこと。

井宮といえば薩摩土手近くの井宮神社付近を指すのでしょう。

掲示板の「籠鼻」の地名は「龍鼻」とともに賎機山のことを記述する甲陽軍鑑に登場するようですが、城塞のある丘や山の形状をよく「龍の鼻」の如く勇壮な「龍」をイメージさせる呼称が全国的に少なくありまらんので、おそらく「籠」はどこかで混同があったのかも。

この地名発祥については未調査ですが甲陽軍鑑からの転記だとすればまぁ頷けるところもあるかも。

今風にその文字を比較すると草冠があるかないかでは意味が違いますからね。

 

そして最も嬉しい記述は「今川家の臣福島淡路守の夫人然正院智現妙本大姉の開基」とあります。

こちらは福島上総介正成の夫人のことですが、福島(くしま)家というと歴史的資料が乏しく断定的なことはわかりませんがまずは今川家臣団の一角で小笠原家が入る前の高天神城主としてその名は伝わっています。

 

滅亡主家のその家臣団とあって歴史の中に埋没している感のある福島家ですが、街区の何気ないお堂にその名が記されていることに感動を覚えます。

 

なお御堂の別名「おはつかさん」=「お二十日さん」で毎月の縁日の日を言っているのでしょう。 

 

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コメント: 2
  • #1

    河東村出身者 (木曜日, 05 12月 2019 08:32)

    高天神城が武田側に落ちた時に、福島十郎と安西越前が責任を取らされて死んだとされていますが、安西越前は福島の縁者だったのですね。福島十郎は小笠原氏なので安西越前も駿府から小笠原氏のところに来ていたとみました

  • #2

    今井一光 (木曜日, 05 12月 2019 19:57)

    ありがとうございます。
    河東さんブログ「高天神衆 福島十郎左衛門はなぜ切腹したのか」を拝読させていただきました。
    「福島」というと花倉の乱(1536)で敗者となって駿遠から一掃されたと考えがちになりますが一族は分立して高天神にもそのまま残った一族がありますね。
    それ以前に甲州にて討死(1521)してから子らは北条方に離散して玉縄北条となったともいいます。
    やはり武田側に落ちた際(1573)の武将の名に福島十郎右衛門 福島河内(「高天神の跡を尋ねて」)の名が見えましたので「福島」にも分流色々と分かれているよう。
    紛らわしくなるうえに官位名のりの重複もあったかと思いますしそもそも史実確証なく推定、不詳の部分が多い家です。