少将井神社 手越長者屋敷跡 「千手の前」

台風21号が連れてきた低気圧は殆ど台風並みでした。

当地も風は吹きまくり雨が長く続きました。とはいえ何といってもあの「千葉ほどではない」というところ。

昨夕も当家奥方の縁者から奥方に川の氾濫によっての帰宅困難の報が入っていました。

 

天気予報を見れば絵に描いたように房総半島に線状降水帯が。

要は大雨を降らしに雨雲がわざわざ千葉の上空に集合しているが如くでした。

千葉在住の方々からすれば連続的に3回に渡る災難。

まぁ千葉に限らず各所に災いをもたらした連続の大雨ですがこの頻度でもって集中的な豪雨と毎年付き合って行くというのであればさすがに辛いでしょうね。

これから本当の「温暖化」の恐怖を味わっていくというのでしょうか。

 

床下でも床上でも「浸水」などたまったものではありませんが、土砂崩れで家といっしょに流される様子は報道される画像を見ているだけでショックを受けます。

退避せずに「外に出ない」という策もありますが、家に残って失う人命もあります。できるだけ早く判断する事が不可欠です。

 

旅行のスケジュールでも無理やりぶつけて家族で台風の進路とは逆方向に逃げ(遊びに行く)るくらいの余裕があればベストなのですが。

天気予報はよく当たりますから、予定も立てやすい。

 

ちなみに私ども地域の方々で「ちょっとヤバイかも」と思った方たちで公設の避難所ではなく「東名牧之原S.A.」に避難した家が結構あったそう。あそこなら水害はありえませんし外部からも入れます。

停電も断水もまずないだろうということ、食事はいつでもとれてシャワーだって浴びられると。

 

さて、昨日は日本弁護士連合会が死刑廃止と終身刑の導入を同時進行でに求めていくという方針を決定したといいます。

これは死刑廃止法案のみを成立を求めていく方策よりもより理解が得られるとの転換ですね。

「無期懲役」なる刑がありますがあれは「無期」というくらいで一瞬間「エンドレス」を思いますが大抵は模範囚など仮釈放の可能性がありますので案外娑婆に出てこられるもの。

 

それが「終身刑」となればそのものズバリ「死ぬまで」です。

よってこれは刑が重くなったワケで決してその件好ましい姿とはいえないのでしょうが、とにかく世界でも稀な死刑制度を「今スグ廃止したい」ためが故の流れ。「殺す」よりマシということでしょう。

 

これでその特に先進国の中で見苦しい国の仇討制度廃止の論議は進むことでしょう。 

どちらかでも記していますが、当流は勿論、仏教界では早くからその制度の廃止を声高にして訴えていました。

その本質は仏教の「」の精神からですね。

 

しかしながら日本史上仏教経典を基とするその世界に生かされる者(僧籍にある者)たちで「仏敵」、仏教に仇するものへは仏の教えを歩む者であっても敵(かたき)としてその「首」を所望し、またはその「死」について歓喜したものです。

 

後者に於いては安土周辺に居て石山本願寺に籠っていた私どもご先祖が信長の本能寺の報を聞き和歌山にて踊りあかすほどの慶事として受けとめたと伝わりますがそれ以上に歴史的に有名な仏教界が仇、敵として強くその「首」を強く望んだ人といえば平重衡でしょうね。

 

平清盛の五男で清盛の差配で南都焼き討ちの総大将。

要は興福寺、東大寺またぞろ焼き払ってその大いなる恨みを買った人。

偶然でしょうが、後に比叡山を焼き払った織田信長も平氏の流れでした。

 

重衡は一ノ谷の敗戦で捕縛されたあと、鎌倉への護送等経緯ありましたが結局は斬首されることになります。南都の力が働いたということです。

それは仏教界にまだ「恕」の発想に至っていない時代だからのこと。

そういった多くの酷い目にあわされ、それを仇と思い仇した者の死を望んだ歴史を反省しての今の死刑制度反対であるわけで。

人の命を奪うことは犯罪者であっても「イケない」ことを反省を含めて重ね重ね聞かされてきたからでしょうね。

 

画像は手越宿一番の歴史的遺構。少将井神社(場所はこちら)。

先日記した心光院の真下になります(⑧画像)。

この神社のある場所が手越長者屋敷跡の伝。

 

「千手の前」の像が建っていますが彼女がその平重衡が鎌倉に護送された際の接待役としてご指名があった人。

手越宿といえば遊女(白拍子)です。

彼女は手越長者の娘といいますから「そういう女性」をも連想しますが、少々この意味合いは違っていたことでしょう。

 

この件、事実なのか伝承なのか不詳。

吾妻鑑に平家物語それぞれに登場しますからまんざら作り話と断定できません。

ただし微妙に双方その内容は違っていますね。

 

⑨画像、旧東海道から心光院への細道を入りさらに左手へ分岐します。