まず亡くなった方たちへの哀悼の意。
大変な一日になりました。
「明るくなって度胸がすわり・・・」南郷力丸の台詞ではありませんが、昨晩は夜が明けないことには目視確認ができませんのでほとんど開き直って就寝していました。
暗いうちに目が覚めてぼちぼちという具合に外に出て本堂に境内外周を2周ほどしました。
ほとんどいつもと同じ「景色」で安堵しました。
就寝前にざっと回った時にはまったく問題箇所はありませんでしたが早朝山門入ってスグの松が倒れ掛かっていました。
違ったことといえばただそれだけですね。
返しの風のせいでしょう。
この地は毎度台風を送ったあとの北西からの風は思いのほか強いものがありますね。
ただしこの松は昨年の土蔵撤去の際に業者が誤って蔵の壁を倒したことで松を寝かせてしまい根を傷めたものですから純正の台風被害ではありません。
奥方のパワーで引き起こしてもらって私がロープで引っ張って他の木に縛りつけ作業終了。
いづれしっかりと支柱を打って木を支えることとします。
その様を見た時はいっそのこと根元から伐ろうと思いましたが、まぁ体裁は整ったということで。
ただし枯れる可能性はありますね。二度目ですから。
毎度恒例の雨漏り箇所は発生したものの力仕事といえばコレだけ。
何より今回は「今度こそ年貢の納め時」とその悲惨確実を覚悟していましたので「これまたお赦しをいただいた」とうれしく感謝した次第です。本堂・庫裏・会館・鐘楼・山門・車庫のどちらかひょっとして全部が重大な被害を被るところまで頭の中にありました。
それもそうでしょう、19号のあの勢力を維持したままでの当地直撃の進路図を見ればこの辺りの住人でなくても誰もが駿遠にある程度の被害を想定するはずですよね。なによりも偏西風によると言われる御前崎沖での東寄りの変針は当地に幸運をもたらしました。
当地に住まわれる人々の動きも凄いの一言。
台風15号による千葉の人たちが味わったいろいろを教訓としてその対応に走っていました。
養生テープに乾電池、懐中電灯に簡易コンロそして水。どちらの棚も空っぽだったと聞きます。
開設避難所へ集まった方たちは市内全部で400人超えとこれまでの最高。その避難所に徹夜で同伴したという檀家さんもいらっしゃいました。
そして拙寺周辺でいえば私の住むエリアで停電もなくいつものブレーカーが落ちるという現象もありませんでした。
「景色が変わる」と言われていたもので空が雲一つない真っ青に変わったことは確かながら「ただの脅し」だったと思えることに有難さを感じたものでした。またも生き長らえたと・・・
しかしながら、早朝の松の木修正のドタバタ劇のあとテレビを点けて度肝を抜かされたことは言うまでもないこと。
被災地の惨状が次々と報じられていました。
ひとこと「何で?」の思いでした。
台風進路にあたる東北地方ならばまだしも「何故に信州で」です。デカい台風でそこいらじゅうに雨を降らしたようですが千曲川の堤が決壊して水浸しになることなど誰が予想したでしょうか。
昨晩は牛渕川氾濫の報もそうでしたが当地萩間川はじめずっと静岡県内の大小河川の状況に注目していました。
まさか他の都県の川の堤が崩壊していることなど思いもしませんでしたね。
たまたま静岡県中部の雨が他より少なかったのか大井川の水位が「危険水域」にならなかったという理由はまったく不明です。
きっと日本全国の人たちが思うことといえば「なぜ静岡でなくて・・・」なのでしょう。それをあてずっぽうで記せばたまたま台風が大きすぎて遥か彼方の信州、陸上の山々にぶつかるように雲が次々と発生し、大量の雨を降らせたのかと。
そうです、たまたま・・・。
自然現象、台風・地震・津波の発生と人の営み(被害)の相関に確固たる理由は無いのです。
なぜならば無常世界、人の想いとは裏腹~理不尽~に生かされているのが私たちだからですね。
自然には抗えない運・不運のようなものがあって「たまたま」。
まぁ立て続けにあの手の台風が首都圏等、緯度高めの場所を通過するのであればイイ加減「温暖化」について真面目に論じあって世界的な対策をスタートして欲しいところですが。
毎年あのような台風が来るというのには耐えきれませんね。
「温暖化」は私ども人間の責任であることは紛れもない事実。
というと人間の経済活動の自然界からの反動ということですね。
「自然災害は誰の責任も問えない」とはいいながらもその温暖化―海水温上昇が巨大台風発生と高緯度直撃の遠因であるならばそれらみな「わたしの責任」ということになります。
「自業自得」と自然から突き放されているような気もしないでもありませんね。
とにかく拙寺に関してはたくさんの被災に遭遇したみなさんには畏れ多いことですが、なんとか生き延びることができたことです。
ご心配をおかけしましたがおかげさまでお寺は無事です。
昨日は多方面から各見舞いの言葉をいただきましてありがとうございました。
尚、辛く悲しい現状を余儀なくさせられている方たちがいらっしゃることはわかっていますが今度のRWCのスコットランドとの死闘、私は久し振りに見ていて力が入る観戦(勿論テレビ)をさせていただきまた、大いに感動させていただきました。
彼らの場合は「たまたま」ではなかった。
彼らと同じ、苦難にへこたれず再び前に向かって立ち上がっていただければと思います。
①台風明けた萩間川の河口。まだ雪がない富士山が。
②③相良海岸。砂がなくなって砂利が目立ちます。
この鼻っ先数十㎞を通過しました。
④は漁港。波で剥がされたアスファルトの様子ですがあの重たい塊があちこちに飛散していました。
海にも川にも「ちょっと見に行く」と家族に言い残して「帰ってこない」という方が相変わらず多いように聞きます。
テレビで「絶対に見に行かないでください」の声掛けは案外逆効果のような気もしないではありません。
外に出なかったとして助かる命はきっと少なくなかったでしょう。気になることがあったとしても、運でも何でも「任せちまう」という開き直りが時として命を救うものです。
ただし往々にして「すくわれた」ことに気づかないものですがね。私など家で寝ているだけですから。
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小山昭治 (月曜日, 14 10月 2019 08:52)
台風の度に砂浜が削られています。
砂浜へ降りるところが1メートル近い段差がありました。
須々木川の水門の所にあった砂山もなくなりました。
ダムが悪いのか、港が悪いのか、いずれにしても
人間の浅はかな行いの結果。それに乗らざるを得ない弱い人間。
悪い人間。地球にとって人間は悪い生き物と言わざるを得ない。
そんなことを言っても白々しく生きるかわいそうな人間。
だからおもしろいんでしょうね。
今井一光 (火曜日, 15 10月 2019 00:58)
ありがとうございます。
それでは自慢の海水浴場の台無しですね。
これらの気付きは将来の人間社会と地球を「台無し」から救うことが出来るのか
まさに正念場になりますね。