台風の被害はただただ通過コースによって変わりますね。
当家の場合はいつもの大雨と同じ2ヵ所(庫裏と新設物置)の雨漏り以外は大目に見ていただけたようでした。土嚢袋を用意しようとしてその設置を忘れたシャッターも大丈夫でした。
「嵐」は気まぐれな「空気の塊」の移動ですから微妙な変針があるのは当然でしょうが、気象庁が大層なコンピューター解析をして数時間も前にルート予想を発表してくれています。
そんなワケでそれに信頼を寄せる私などは早い時間から高をくくっていられたのでした。JRほか各路線も同時に「止まるし動かないかも・・・」と発していました。
それでも台風は陸が近づくと上陸を嫌がるように寸前に東寄りにブレたがるのか予想(当初の予想は悲観的、静岡中部)より相当東にブレて実際の上陸は千葉でしたね。
その後は案の定というかお決まりの首都圏交通網の寸断の状況。「電車は止まってますよ」のニュースが出ているにも関わらずどちらの駅も行列ができていました。8時から動くかも・・・の推測が独り歩きしていたようで・・・
それにしてもサラリーマン諸兄の悲哀を感じたと同時に一昨日の法要のお斎の締めに施主が歌った「スーダラ伝説」を思い出しました。
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~」は大いにわかるところですが、その歌詞の通り「責任」などから離れられればいいのにね。
「こつこつやる奴ぁ~ ごくろうさん」でしょう。
本当に「ごくろうさん」としか言いようがありませんね。
まぁあれだけ予想が早く出されていて交通が乱れることはわかり切っていたところ、「月曜は休み」の英断が発せられなかった会社経営者の無能とそのボスに付かなくてはならない自身に残念を感じるのみでしょう。
まだまだ「這ってでも出社」「それこそ会社の鑑」といった旧態で古流な風潮が残存しているということでしょう。
臨機に動けない組織など・・・お先真っ暗。
当家奥方は昨日は渋谷にて色々の予定がありましたが先週末の段階で「月曜はキャンセル」と先方に連絡していました。
学校なども早々に休校になっていましたしね。
バカバカしいほどの無駄な時間と社員の疲弊が予測できない者に「経営」などできるはずもなく。
とかいう私の無責任は誰もが認めるところですが・・・
責任・無責任といえば千葉の東京湾岸に近い市原のゴルフ練習場のフェンスが倒れて民家数軒を直撃大破させた件には特にまた驚かされましたね。まぁ世界にみっともなさを露呈させたのは「成田空港1万人足止め」でした。成田空港に対応能力なし。
気を聞かせた飛行機は羽田に向かったとも言いますが客としては有難かったでしょうね。
機長の臨機ですが今誰もが思うのは「羽田がイイ」ですね。
ネット支柱の倒壊は怪我人まで出していますので「業務上過失傷害」の刑事事件を思いつきますが民事でも「何件建て直すの」と唖然の躰。
いくらかは保険の対応もあるかも知れませんが「自然災害」との理由は通らないでしょう。
構造物の管理「無責任」は画像からうかがえました。
折れ曲がった支柱の塗装が剥げた部分は錆びだらけでしたからメンテ不良・・・管理不足の一端が。
私のサラリーマン時代に関連会社のゴルフ練習場に何度かお邪魔したことがありましたが支配人から気象の変化には敏感で特に大風が予想される際はネットを降ろすことが肝心であると仰っていました。
あのネットの重量と受ける風は半端ではないからですね。あの手の施設では常識ともいえる事でした。
要は営業を日曜午後には中止にできなかったのかネットの降ろしが半端だったかですが、保障が出来ないといった場合は何故に降ろさなかったのか、過失無過失を争うことになるでしょうね。
拙寺の西側の槙の大木が倒れた場合、これはナイとは思いたいですが境内物損の保険でどこまで通用するのか一応は再検証しなくてはならないですね。
自然災害の免責は承知していますがしっかりした管理(定期的剪定)と瑕疵の不在を証明しなくてはなりませんから。
何より近隣関係をギクシャクさせたくありません。
今回の15号の如く東京湾を直撃した例は珍しい事。
毎度毎度痛みを味わう九州から東南海のエリアをズレてその地区の人たちは「ホッとした」ワケです。
そして勢力は955hp(ただし「非常に強い」のカテゴリー)ではあったものの大きさ的にコンパクトだったことは実際に被害にあった方は気の毒なことですが大局的には結構ラッキーだったのかも。
これから緯度の高い場所への大型台風の直撃が増えるのかも知れません。これも温暖化なのでしょうね。
また台風が発生しそうで当然ながらやってきます。
「想定外」の言い訳は無いようにしたいところ。
さて、春日山の首切り地蔵から滝坂の石畳を進みます。
ここで私は迷って右上の林道に進んでしまい無駄な歩きをしましたが、滝坂はこの首切り地蔵の向かいにあるトイレの脇を川沿いに進むことになります。
すると右側の崖に摩崖仏が。
「朝日観音」とよばれています(場所はこのあたり)。
この谷間に向かって高円山の頂きから差し込む朝日に照らされることから名づけられたといいます。
とはいえ仏は「観音菩薩」ではなく中央が弥勒菩薩、左右が地蔵といいます。文永二年(1265)と。
その頃は石畳の敷設はありませんでした。
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小山昭治 (火曜日, 10 9月 2019 08:43)
毎度の正倉院展にあわせて行ってみようと思います。
今からじっくり策を練ります。
キツければ止めます。
今井一光 (火曜日, 10 9月 2019 18:54)
ありがとうございます。
特に地獄谷石窟は一見の価値がありますのでお勧めです。
山歩き歴戦の小山さんからして大したキツさはないでしょうが、問題は時間でしょうね。
念入りに作戦をたててチャレンジしてください。
それにしても正倉院展は食指が動きます。