なんという酷い天気でしょう。
そして夏の終わり方も。
前代未聞のように感じた長梅雨がやっと終えて、エンジン全開の夏かと思えば8月中旬からの秋雨前線の停滞によってこの短い夏は終わってしまいました。
夏嫌いの方たちはほっとされているところでしょうが私の場合はまったくこの季節は未消化。
気分は蝉と同じ、夏が終わると「死」のイメージに近いものがどうしても沸き起こってきます。
皆さんと一所に無事に春を迎えられることを願います。
これはまた一つ齢を重ねられるという栄誉が伴います(数え)からね。
昨朝も明け方の激しい雷と豪雨で目が覚めました。
梅雨時に庫裏の雨漏りで悩まされましたが数度にわたって屋根の「怪しい箇所」を補修してからの初の「豪雨」。
おそるおそるバケツを置いたその場に行ってみて安堵しました。何とかなっていたようです。
ところが相変わらず漏電ブレーカーが落ちてうんざり。
雨の中、怪しいと踏んでいる室外設置のブロアに直接雨が当たらないよう板を立てかけに行きました。
前に立てていた板は昔の裏木戸でしたが物置の観音扉の1枚にしていましたのでそういえば露出していましたね。
今度こそまともな漏電対策をしようと思います。
これから台風シーズンに入ります。
そういえばアメリカにはかなりデカそうなハリケーンが向かっているようです。何事もスケールの大きいアメリカ、被害も半端ないですからね。自然の猛威からはただ耐えるのみ。
さて、奈良の有名寺院などに足を踏み入れれば都会の雑踏と同じ。京都でもその傾向は強いものがありますが、奈良の東大寺・興福寺周辺ときたら、渋滞も激しく一度懲りれば二度とその轍は踏みたくありませんね。
しかし奈良の中心部でありながら「100対1」いやそれ以下と言っても過言ではないほどの人口密度の少ないそれも広大なエリアがあります。
それが春日大社の裏山から高円山にかけての森林です。といっても車で登ることができますので瞬時に雑踏世界から逃れることができる一押しのエリアですね。
一押しは春日山の原生林ですが、本日はそちらからの帰り道、高円山展望台からの遠景と歌碑を。
その山の展望施設(といっても道路わきの駐車スペース)には奈良の歴史に登場する山々が掲示板で紹介されています(場所はこちら)。
歌碑は万葉集で大伴家持。「秋」の歌。
万葉学者犬養孝による一連の万葉歌碑の一つです。
「多可麻刀能 秋野乃宇倍能 安佐疑里尓
都麻欲夫乎之可 伊泥多都良武可」
とあります。
若い頃見た「変てこ集団」がよくアピールしていた当て字を連想する文字列ですが・・・。
読みやすく記せば
「高円の 秋野の上の 朝霧に
妻呼ぶ牡鹿 出で立つらむか」
私は春日山の朝霧と森に生息する鹿の空気を切り裂く大音声に胆を潰したことがありますが、それだけは大昔の家持の頃の奈良と何ら変わっていないことを感じました。
私も「お~い」と奥方を呼んで立ち尽くしますが鹿はまさか「朝ごはんが欲しくて・・・」ではないでしょう。
森の中で人を見た鹿が鳴くのは余所者侵入者への威嚇と仲間への警戒発令でしょう。
コメントをお書きください