一昨日の夕刻、奥方に連れられて島田蓬莱橋近くのショッピングセンターに。夏休みにつき子供たちが溢れかえっているのかと思いきやガラガラ。
お天道様が高いうちなどはことに以前のように子供たちの姿は見えませんね。
真っ黒けのガキ大将の姿など過去のこと。
美白だのシミだの老け顔だの言って多種多様の肌に塗りたくるグッズが繁盛しているようです。まぁ人それぞれではありますが、私などは既に手遅れの域。
日焼けなど気にしていたら外仕事など出来やしませんね。
実は先日超がつくほど久し振りにバッティングセンターに行って1ゲームだけ棒キレを振り回してきましたが、案外と節々の「痛み」に後悔することはありませんでした。
ひょっとして「体がバラバラ」になるような後遺症がでるかと思いましたので。
気をよくしてその島田の帰り、住宅街の一角にバッティングセンターがありますのでそこに寄ってみました。
ここも殆ど10年振りくらいでしたが、行ってビックリ。
子供はいないのはだいたい予想がつきましたが、機材が新しくなっていました。
打席に立っている時は気づきませんでしたが通路側にモニターがあってヒット性の当たりをセンサーで探知しているのでしょう判定して結果を出していました。
面白がって2ゲーム目のコイン(200円)を求めたのがイケなかったか現在のだるさの原因になっているようです。1日おいて上半身の痛みと関節痛に襲われている状況ですが時々ここへきて遊ぶのも悪くないと思った次第です。何せお安く楽しめるのがイイですね。
「痛み」といえばまず大抵の人はその悩みを抱えています。
肉体的な痛みは勿論、心の痛みも含めれば殆どみなさん同じでしょうね。
先日、叔父と話をしていてやはりコレでしょ・・・というフレーズが「今日も痛い、南無阿弥陀仏」。
深いです。
まぁ「ありのままに・・・私の今日を感謝したい」とでも野暮な解釈文を記しますが、それこそが真宗門徒の生き様でしょうね。
あっちこっち痛いところばかりのお年頃となりましたが、「痛いから」を理由に動かさないでいたら固まりそうで・・・。
よってこれから「回し」に行くことにします。
さて、「痛み」についてその原因が「だいたいわかる」というのは一応は安心しますね。
しかしその理由について経験則では測れない、しかしかつてどこかでその手の事を聞かされて畏怖した憶えのあるようなことをあらためて示唆でもされるとすれば・・・「怖い」ですね。
小島蕉園の蕉園渉筆については幾度か記していますが今回はその中でも不思議で少し怖いお話を。
蕉園渉筆にはその手の不思議な話は結構ありますね。
蕉園渉筆23 「雄鷲」
浅場邑民、射殺一雄鷲、其夜懐臥初生児、夢雌鷲来欲奪児、抱住緊急、寤而視之、児已死矣
浅場邑の民が、一雄鷲を射殺す、其夜初生児を懐き臥す、雌鷲来りて児を奪わんと欲すを夢みる、緊急に抱き住むる、寤(目が覚めて)而之を視ると、児は已に死せり矣
ちょっと怖い・・・。まぁ儒教的思想に造詣の深い蕉園が生き物でも敬意すべき何かが宿っていそうな(神聖な)ものを殺生したりすると「こうなる」(ひょっとしてそれが理由かもしれない・・・)を短く記したものです。
「無碍に殺すな」なのでしょうね。鷲の夫婦の絆、夫を亡くした妻の仕返しについても思いました。
画像①②は長篠の某所の看板の文言。
管理者としての相当な怒りが文面から伝わってくるような気がします。
余程ここに来る人たちの道徳感というものが劣悪でそれに対処すべきの言葉でしょうが、そこのところの指摘はもう少しうまいこと記せないものかと思いました。
「気を付けて」の心配は、「祟るぞ」の脅し。
失礼ながらニヤリとさせられました。
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