昨日は平日ですが法事がありました。
施主は「エアコンに慣れた体には・・・」と本堂のしばしの滞留にバテぎみの様。
毎度この時期思うことは、「本堂にエアコン整備したら」ですが我に返って・・・ありえないありえない・・・。
予算的なものもありますが、冷房効率が悪すぎて無駄でしょう。滅多にないことであると扇風機で辛抱していただきましょう。
さて、波さんが江戸城奉公から持ち戻った広大院出所の「着物1」の表裏、そして昨日は「着物2」の表について記しましたが本日はその裏面です①②。
昨日の豪奢な刺繍の施された表面に比して地味で単調、細かなドット模様です。
目につくのが家紋「丸に違い鷹の羽」。
表面の葵紋と同様3点です。
おそらく着物生地だけですと薄すぎて打敷としては使用しづらいこと、強度をあげるために裏地として使用したのでしょう。その家紋があるようやはり元は着物でしょうね。
どなたかのお古なのでしょうが、その件波さんの着ていたものと考えるのがスンナリ行くところ。「女中」らしく地味な色合いです。どのように着たものかはわかりません。
すると何だってこの家紋なのか・・・と想像を廻らすわけですね。当家の家紋は「五三桐か下り藤」とはいうものの双方とも江戸城内でそれを付けるのはおこがましい・・・
そもそも江戸城に女中奉公として上がっている者に家紋の主張など不要でしょう。
では「どちらの?」「なぜ?」と疑問が沸いてきます。
そこでこういった推測が出てきます。
周知の通り、大奥という職場にいる者といえば圧倒的に女子。
男子禁制の場所ですからね。
そこにスーパーアイドルが出現したらどうでしょう。
勿論「若手男子」のことですが、波さんが江戸城にいた時代に、よりによってそういうヤリ手の男子が江戸幕府中枢にデビューしていたのです。
その人の名が阿部正弘です。
備後福山藩七代藩主、元は三河武士阿部宗家チォキチャキの譜代の大身。藩主と言っても生まれは江戸西の丸屋敷、生涯で1度しか国元に帰った事の無いような江戸っ子です。
家督を相続するやトントン拍子で出世し25歳で老中、あっという間に老中首座にまで上り詰めた人ですね。
それでは例の波さん時系列に阿部正弘を入れて見ます。
※尚以下「おみて」の箇所は訂正削除しています
(20200201ブログ)。
相良 波さん 広大院
宝暦十一(1761) おみて御奉公開始
安永二(1773) 島津重豪娘鹿児島城生
安永五(1776) 後の徳川家斉と婚約
― 江戸城一橋邸へ 3歳
天明四(1784) 意知暗殺 11歳
天明六(1786) 意次失脚 13歳
天明七(1787) 近衛寔子と改める14歳
天明八(1788) 意次逝去 相良城破却 15歳
相良 代官時代
寛政元(1789) 家斉と婚儀 16歳
寛政九(1797) おみて御奉公36年目
文政二(1819) 阿部正弘 江戸にて生まれる
文政六(1823) 意正相良藩 3歳 50歳
天保八(1837) 17歳 家斉とともに西の丸へ
「大御台様」64歳
天保九(1838) 阿部正弘 19歳 奏者番
天保十一(1840) 阿部正弘 21歳 寺社奉行見習
天保十二(1841) 21歳 家斉死去「広大院」68歳
天保十三(1842) 22歳 従一位「一位さま」
天保十四(1843) 阿部正弘 25歳 老中
天保十五(1844) 24歳 江戸城火災
半年後広大院逝去
弘化二(1845) 阿部正弘 27歳 老中首座
弘化三(1846) 相良帰郷 26歳
不明
嘉永六(1853) 伊達屋敷より聖徳太子像 33歳
明治二十二(1889) 逝去 69歳
年齢誤差あります。
それはお許しいただくとして波さんから見て阿部正弘はだいたい2歳上。
老中になると「老中見廻り」として大奥巡回がありますが、当時その若き老中について、大奥女中の中でかなりのフィーバーになっていたと聞きます。
男子禁制の中、若手ヒーロー宰相がのし歩く姿を想像してください。
阿部家の家紋は大雑把に「丸に違い鷹の羽」。
大奥女中たちは老中のその家紋を自らの身につけたいろいろの品に印したといいます。
ということでこの打敷裏地に記された家紋に阿部正弘の影を思いついたのです。
まぁ波さんの勝手な思い、要はファンとしてのグッズ的なもの・・・そのハシリのようなものでしょうか。
かなりのミーハーな感ありますが、相良に帰ってその手の事は心の底に仕舞って口外することはなかったのかもしれません。
そう考えるとあの打敷には波さんの若き頃の思い出が詰まっていてより一層大切にしなくては・・・と思うばかりです。
独身を通した人でしたし。
阿部家は分家分流多くあってベースは「違い鷹の羽」ながら多少のアレンジがあります。宗家は「丸に右重ね斑入り違い鷹の羽」と言われます③。
まぁ細かいところはどうでもよろしいということで。
阿部老中フィーバーや女中たちの反応について聞くところありますが、その実際や証拠として残るコレというものは世間に残っているのでしょうかね。
これもかなり面白い代物。
2枚表裏全4面、楽しませていただきました。
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