これは便利!! 「がつお氏」製作の寛政譜索引 

昨日午前は太平洋上の台風6号などどこ吹く風、気持ちよく境内雑用の続き作業を。

ただしやはり台風の進路予報に敬意を表して台風対策が主たる仕事となりました。

前回雨漏り箇所の件。あの時「対応できた」と喜んでいれば再び雨漏りがありましたので屋根にあがってここぞと思える場所に充填剤を。庫裏の壁材の隙間らしき場所に突っ込みました。

 

また花ガラ処理の地頭方処理場に。これは大雨予報のあるたびのパターンです。ゴミ袋の中に雨水が溜まると手間ですからね。

 

帰りに150号線沿いの海岸でしばしぼんやり。薄曇りとなった空でしたが陽をあびて熱くなった堤防の上に寝転べばうとうと。30分は意識を失っていました。

 

帰宅して雨がぽつぽつ始まったころ、浜岡の叔母が「うなぎを喰わせる」というので喜んで駆け付けました。

27日は土用とのことで店は満席でした。

自宅に迎えに行ったとき叔母は「エアコンが壊れた」と言いながらリモコンを持って出てきて「電気屋へ連れて行け」と。

見ればリモコンの電池から液漏れしていましたので、帰りに電池のみ新品に交換して確認。すると無事起動してくれました。

台風が過ぎればこの地区も梅雨明け宣言となりましょうが、エアコンが動かなかったら命に関わりますからね。

 

帰宅してからはさらにドタバタ。

午後10時ころからの土砂降りに、雨漏り対策の効果は如何に・・・ということで現場に行けば、無情にも雨だれの音。

しばらくしてこれまでの様相とは違って3カ所から落ちだしました。

お笑い種ですが、まったく当方笑ってなどいられません。

奥方と右往左往が始まりましたが、次は漏電によるブレーカーのシャットダウン。

それまで書き出していたブログはAC電源直のデスクトップでしたから一発ですべて飛んでしまいました。

 

めげずにノートPCで継続しましたが、都合2回も電源が落ちました。まったくこの家は漏れ漏ればかりで危険度満載の寺。

命まで落としそうです。

 

さて、ブログでもお世話になっている「がつお」さんより凄い便利グッズを紹介いただきました。

何と「国立国会図書館の寛政譜の索引」を作ったとのこと。

その件、寛政譜―『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)―といえば、日本史を齧る者として切っても切れない根本資料であるといっても過言ではない代物。

 

ところがその検索は面倒至極。

国会図書館にアクセスしてからほとんどあてずっぽうに近い形で捲っていきましたからね。

これまでも「まぁいいか」で仕舞うパターン多くありました。

それが今度紹介されたその「索引」は何より検索は勿論、操作がカンタンです。

がつお氏による超がつくほどの力作ですね。

 

 

ここで事後承諾ではありますが、早速に拙ブログの左側ナビゲーションに「がつお氏の寛政譜索引」なる見出しを付けてそちらにリンク先を貼り付けさせていただきました。

尚、あくまでもそちらはがつお氏のサイトですので、すべてががつお氏次第となることは言うまでもないことです。

拙速とは思いましたがアップさせていただきました。

活用させてください。

 

①が処理場から出たところ。②は須々木地代。

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コメント: 5
  • #1

    がつお (土曜日, 27 7月 2019 10:59)

    今日の表題にびっくり(笑)
    あのサイトが提供されている限りはそのままにしておきますのでご随意にどうぞ。
    ただ少々恥ずかしいので左メニューは「がつお氏の」を消しておいて頂けるとありがたいです。
    本が最寄りの図書館などにあれば不要なものですし、本当は国会図書館で作ってもらいたいぐらいなんですけどね。

    それと、年代的に関係ないかもしれませんが国立公文書のデジタルアーカイブに「女中帳」という文書があって享保17~文化7年までの記録とされています。
    そのなかで、御右筆の「みて」という名の人がいたのですが寛政9年に病気で御暇(その時点で御奉公36年)となった人でした。(2冊目の33ページ)
    お波さんの旦那である「おみて様」はそれよりランクが上の人だと思うのですが、天保~弘化の頃にそこまで上り詰めているならば文化あたりで新規に雇われているかもしれません。
    さらっと見ただけですが他に「みて」さんはいなかったように思うので徒労におわるかもしれませんが情報まで。

  • #2

    がつお (土曜日, 27 7月 2019 11:27)

    連投ですいません
    御目見以上の女中の場合はその後も大奥に残っている場合もあるそうで、もしかすると御暇となった御右筆の「みて」に付いた可能性もあるのかもしれないなと思ったので。
    上記の文書によれば、「みて」には取り来る御合力金と御扶持方を一生下さるとしていることと、御暇は退職とは言い切れないことから大奥に残っていた可能性もあるかなと。
    そしてお波さんは年老いた「みて」のお付きになったのではないだろうかと。
    年齢的にはかなり高齢になりそうですが、いつの世も女性は長生きでは無いかと。

  • #3

    今井一光 (土曜日, 27 7月 2019 14:27)

    ありがとうございます。
    この度は勝手にも「えいやぁ」の勢いで「寛政譜索引」を引っ張らせていただきました。
    そしてまた拙ブログ掲載を御了見いただき切に感謝いたします。
    やはりその「大作」については私の仕事ではありませんので、そのままに掲載することはおこがましく思います。
    そして何より「女中帳」の紹介ありがとうございます。
    早速検索させていただきますし叔父の方にも連絡して検証してみたいと思います。
    いろいろありがとうございました。
    また今後もどうぞよろしくお願いいたします。

  • #4

    酒井とも (水曜日, 31 7月 2019 09:40)

    皆様こんにちは。「寛政譜索引」素晴らしいです。
    探究中の武家を目次にて二度三度と丹念に調べたつもりでしたが、「寛政譜索引」にて、もう一家の存在がヒットし、その中に長年知りたかった、意中の方の消息及び、職種が分かりました。
    400年を経ての奇跡的な発見に繋がりました。ありがとございます。
    又、別サイトにて、その家の元禄期の旗本住居なども確認出来ました。本当に感謝、感謝です。

  • #5

    今井一光 (水曜日, 31 7月 2019 17:56)

    ありがとうございます。
    がつお氏の労作「寛政譜索引」のご成果のご報告ありがとうございます。
    わたしも気軽に机上の辞書の如く検索させていただいています。