二つの耳を与えられた道理に応えるべく境内で佇みます。
何の目的をもってのことでもなくただ気づいた事々について、なんとなく午前をすごしました。
昼からは陽の光も差して、気温も上昇。
牧之原市から発令された熱中症注意報がスマホに飛び込んでくるくらいでした。
夜間はトレーナーを引っ張り出すほどの気温でしたからその温度差にはついていけない人が多いかも知れません。
奥方は「喉をヤラれた」と言っていました。
しかしどうやらあと1週間も我慢すればこの憎らしい梅雨は晴れるよう。一時は先が見えない不安がありましたからホッとしています。
どのような夏になるかはまさに「明けて」みなくてはわかりませんがクマゼミたちの大合唱がこれほどまで待ち遠しいと思ったことはありません。
「耳」に関してはとにかくやはり最初は「口」から。これだけはこちらから切り出さないとダメですね。
昨日は嫁に出して亡くなった方の実家のお母さんと娘(故人の妹?)さんが墓参に来られているのを見かけて、14日の盂蘭盆会法要への参拝を勧めました。しかしあっさりお断りされてしまいました。
すると先般その娘さんのご主人が亡くなられて(50代前半)その初盆と重なっているとのこと。
辛い話を口にさせてしまったこととあまりにも気安いお誘いの仕方(「欣笑」の真似事)をした無礼を省みて、思わず頭を下げてしまいました。
そういった言い出しにくい件を真摯に伝えてくれたことへの感謝に応えるべくまた、寺に居る者として次に何か別の対応を試行できる機会をいただいたということで、一声掛ける事は肝要と確認しました。
この件、小学生が教えてくれますね。
オトナになって齢を重ねるとともにその件忘れてしまうのですが。
さて、先日は愛知川右岸の段丘上にある松雲寺の彦根藩四代藩主井伊直興の墓について記しました。
その際永源寺にも同様に墓があることも。
臨済宗永源寺派の大本山、永源寺は私のお得意、鈴鹿越えの八風街道の途中にあるお寺で(場所はこちら)、一時期は赤い蒟蒻にハマったことがあってそれを買いに寄り道をしたものです。
それは高速道の近隣S.A.のどこかしらでも見かけますが・・・
大雨の後と厳冬期を避ければあの道はお奨め。鈴鹿の雄大に触れることができます。
一部狭小部分も残ってはいますが、以前より大分走りやすくなっています。石榑トンネルの長さに感動しますね。
永源寺の参道の左側山側には注意して歩くと石仏たちのお出迎えがあることに気づきます。そしてその先の深い緑の中に「井伊家の霊廟」があります。
この井伊直興とその奥方たちの墓ですが、直興に限ってこちら永源寺と永源寺つながりで松雲寺にその墓が建てられています。
永源寺の廟内の立ち入りは制限されていますので、覗ける範囲での撮影でした。
戒名は「長壽院正四位上前羽林中郎將覺翁知性大居士」とやはり強烈に「長い」を感じます。
あの時は門の修理中でした。毎度古い画像です。
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