チャンス到来とばかりに今営業トークに花が咲いた感のあるモノ2つ。
1つはあの「2000万円」に関してです。
年金以外に2000万円が必要であるという試算は、日本中が震えあがったわけで・・・。
保険会社の営業の方が言うには「よく言ってくれた」と周辺大いに沸いているそうです。
「足りないのはうすうす感じていた」とはいうもののその数字をズバリ提示したのですからね。
特に子供の将来に不安を感じた親たちへの感触は良さそうで、貯蓄同様の積立て年金の勧誘がやりやすくなったそうです。
あの「2000万円の不安」はその営業の後押しとなっていたのでした。
今一つ。こちらはちょっと恐ろしい。
池袋の暴走死傷事件以降、高齢者の免許返納件数が増えているといいますが、そのおかげでシニアカー販売営業がやりやすくなったといいます。
営業文句としては「外出難民解消」ですね。
私のよく表現するオートマチック車・・・ゴーカート、それから降りるという事は対人、対物の傷害行為の不安には意義あることですが、シニアカーもそのゴーカートのようなもの。
そもそも免許証というシバリはありませんからお気軽です。
それは速度も大きさもミニチュアですからミスによる加害事故は起こりにくくなるでしょうが、今度は被害者になる確率が増えるに決まっています。
これから免許証返納者の外出手段としてそのミニゴーカートが普及したくさんのそれが世に走り出したら、普通車が公道を走ることがいよいよ恐ろしくなりますね。
自分がもしそれを買い与えられたとしたらきっと「我がもの顔の暴走」をするでしょうから。
さて、昨日ブログの曽根城址といわれる段丘中断のJA施設の下方に曽根の交差点があります。
そしてその直近に福性寺というお寺があります(場所はこちら)。
そちらには平安期の作といわれる聖観音坐像はじめ深沙大将、多聞天、持国天の仏像たちがあります。
それらは信長の焼き討ちから逃れて曽根の山林に避難していたといいます。
曽根城とともにこの辺りの建物などは焦土となっていたでしょうし元々あった寺も焼失、時間を経てこちらのお寺が建てられたということですね。
信長襲来という「災い」が迫ってくることがわかっていたということでの事前の避難はまさに正解でした。
やはり墓域には松雲寺と同様石塔たちが並びます。
特に「曽根城に関わる人たち?」を思わせる五輪塔が目を惹きます。掲示板の「満福寺」には寺号の変遷を思わせます。
福性寺は愛知川河岸段丘下に位置しますが、画像でも曽根城址(JA施設)が台地中腹にあることがわかります。
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