梅雨時の一番の不快を大いに味わう一日でした。
台風が連れてきた空気でしょうが、充満した湿気は大した温度にもないのに不快指数は全快にしました。
ざっと降って止んではまた降るの繰り返し。それでもその降っていないタイミングはありがたく移動に墓参にと活用できましたがそれは気まぐれ。
大丈夫と思いきや瞬時に裏切られ衣など、より一層の湿気に覆われてしまいました。
沖縄は平年より6日の遅延での梅雨明けとなりましたね。
「お肌にワルイ」とはいうもののあの強烈な光が懐かしく思います。高い温度については私は問題ありませんから。どうしても未練は残ります。
午前の法事で濡れた衣はエアコン、フル回転で乾かしますが、アレが無かった父親以前の時代を考えるとおそらく「疲労度100倍」でしょう。各ご苦労を思います。
「ヤワな生活をしてやがる」と叱責を受けそうですが・・・
エアコンが無い居間は考えられなくなってしまいました。
さて昨日ブログに引き続き、鯰江の街区を歩いて目に留まるのが専修院というお寺。
自治会館のお隣になります。
専修の名からして(専修念仏)御本尊は阿弥陀さんを連想します。やはり浄土宗のお寺でした。ただしお釈迦さんの古い金銅仏像が指定文化財になっているようでそちらの看板が掲げられていました。
昨日同様の「掲示板」⑤を記しますがそちらの一番下の段にご注目。「森備前守」なる人の名が出てきますがこのお寺の開基といいます。そしてこちら鯰江城の築城主が森氏です。
この辺りの地名としては鯰江に加えて森村の呼称があるようですが・・・
佐々木南北諸氏帳 ( 6 愛東町)に目をやれば
「愛知郡 森村住 佐々木隋兵 森豊後守」の名が見えます。ただしどのような変遷があって城主が森→鯰江となったのかは不詳です。
掲示板に戻ります。
「専修院には鯰江城主であった森備前守一族の墓といわれる五輪塔」とあります。
また、「森備前守の霊を~」の件を眺めていると何がしかの強権力(一番に佐々木六角)による謀殺があったのか・・・などと考えてしまいます。非業の死を連想してしまいます。
寺の境内には案内らしきものがありませんのでどちらの「五輪塔が・・・」と悩むところではありますが、覆堂にキレイに整列した・・・「一族の墓」と考えるのが妥当でしょうね画像⑥⑦。
⑧⑨・・・この地に今も残る鯰江さんと城さんの墓碑も。
集落の北側にあるグラウンド脇の「精霊塚」周辺の石仏含め鯰江の墓石を・・・私のお気に入りは五輪塔を肉彫りした小さい石塔です。宝篋印塔を模したものもあります。
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