やっぱり人間というものは基本「私は大丈夫」であって、「ちょっとぐらい」の軽はずみで脱法行為をしでかすもの。
昨日も法要でよくおしゃべりすることに「歩かないと死ぬ」を挙げましたが、ここのところよくお話しした覚えがあるのは「免許証は返すな」でした。
せめて有効期限内であるならばのことですが・・・。
ホントに車の運転をしなければそのまま失効させればいいだけで、わざわざ意味不明の「証明書」と引き換えるのは「やめておきなさい」です。
「運転に自信がないので免許証を返却する」などいう美談は高齢者の事故頻発の昨今よく耳にしますが、少々首を傾げます。
そもそもそのような危険を予知する力量があるのならば、ハンドルを握らないという意思さえあればそれでOKの話。
だいたい東京在住の芸能人・有名人・お金持ちの方がそれを返納したという話題に関して趣旨はわかるものの同感はできませんね。返す返さないは人それぞれ勝手の事、運転技量や反射神経の違いもあることですし人生100年時代と言われている中、車両による運搬、移動がその活動に手放せない方もいますからね。
だいたい交通アクセスに富む都会では車自体が不要でしょうよ。ド田舎に住まう私たちなどその「機械仕掛けの馬」が無ければ仙人の如くの生活になってしまいます。
そういうこともあっての「免許証を返すな」の気持ちもありますがその論拠は「つい、つい・・・」の気持ち「ちょっとばかりだから大丈夫だろう」の安直発想で車の運転をした挙句、事故を起こしてしまった場合を想定してのことです。
「保険弁済の途も無く、無免許運転の汚名」を被ることになりますから。
その件はブログでも何度か記していていますが、まずは常識的に考えて「免許証を返納したのだから運転しない」ということになるのでしょうが、そこは人間です。
ちょっとだけなら「昔取った杵柄」ばりに「まだまだ私は大丈夫」と運転、お約束の通り事故を誘発してしまうのです。
私の座右の一つに「自分を信じるな」がありますが、今何か約束をしたとしても直近未来に何をやらかすかまったく不明ですからね。返納が外に向けたパフォーマンスであっては意味がないということです。
返納ブームの陰に潜むリスク、それこそ「わたし」にあることをお忘れなく。何事も自分のコントロール次第ですね。
さて、浄瑠璃寺の続きです。
浄瑠璃寺の特筆すべき点は平安期の阿弥陀仏九体の残存ではありますが、その寺の形式自体も私は他の類を知らず、ここに古式浄土思想を味わうことができるという点です。
九体阿弥陀堂の位置は境内の西側の山端に東向きに建てられているのはオーソドックスな阿弥陀堂のカタチで、私がどこでも日没時の夕日を見て観想(念仏メディテーション)するのもそれと同様のこと。夕日と阿弥陀さんを同化するわけです。
その対面する方向(東)に「宝池」を隔ててあるのが三重塔。
近くの岩船寺にも阿弥陀堂と三重塔のレイアウトがありますが、浄瑠璃寺の如くではありません。
こちら境内の東側の山側に小高くなった丘の壇上の三重塔は山門を潜ればスグに視界に入りますのでまず大抵は本堂よりもその三重塔の方に吸引されてしまいます。
治承二年(1178)に京都一乗大宮から移築されたといいますがそちらの初層に鎮座するのが薬師如来なのでした。
永承二年(1047)創建当初の本尊でした。それらの事情はやはり重文指定の文書「浄瑠璃寺流記事-じょうるりじるきのこと」に記されています。
こちらの寺の名称をあらためて記せば「浄瑠璃寺」。
この寺の一番のウリは九対弥陀如来ではありますが、寺の名といえば往生極楽の阿弥陀浄土を示す「浄」(ただし薬師如来主宰の浄土もあります)と薬師如来(瑠璃光如来)が合わさった「浄瑠璃」ですね。衆生にとってはその「浄土」は阿弥陀如来であろうが薬師如来であろうが、どちらでも有難く奇特の思い。
こちらの薬師如来も九体阿弥陀と同じにこの寺の主役だったのです。
こちらが東側にあるという理由は「東方薬師瑠璃光浄土」の別名の通り。
宝池に浮かぶ弁財天のある島の北の端に立石がありますが(画像①)、その石は薬師如来と九体阿弥陀の中尊を結ぶ線上に位置していて阿弥陀と薬師は太陽の運行に準えて配置されているのです。
九対阿弥陀堂入場については拝観料が必要ですが境内は常時散策できます。
薬師堂(三重塔)の扉が開くのは限定御開帳。
お日様を意識して、春分秋分のお中日に各月8日、そして正月三が日です。ただし「晴れの日」のみというのは面白い。
堂内彩色の湿気から守ろうという意図でしょうね。
また九体阿弥陀堂にある吉祥天はそのスジでは人気(美形)の仏像です。おそらく来年の遠足がこちらであったとしたらその期日は御開帳に合っていますのでお目にかかることができましょう。
偶然同じ時期に息子もこの地をブラついていたことを以前ブログで記しましたが、「三重塔にネコがいたろ」と話が合ってしまいました。
奈良に近い京都のはずれの自然溢れる野の寺。その堂前にあそぶ小動物について会話が成立するというのも奇遇。
最後から2、3画像が参道。
左側の笠塔婆はさりげなく立っていますが文和四年(1355)建立となかなかの歴史。
大日如来の種子(胎蔵界大日「ア」)が彫られています。
また美しい大日如来仏像も秘仏として御開帳は限定されていますが見ものです。
浄瑠璃寺は九体阿弥陀の他にもたくさんの仏たちが隠れていました。
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