先般のお寺のバス遠足は福井金沢方面でした。
大谷祖廟そして本山参拝を主たる目的としていましたのでその2次的余興についてはそもそも限界があります。
いっそのこと「今年は御納骨ナシ」などアリにして日本海側の旧跡を廻るというのもイイかも知れませんが、無限というほどに未知なる仏がいらっしゃる関西方面に「飽きた」という方は出現するはずもなくまだまだイケると踏んで来年は表記のコースを採用すべく検討を始めました。
京都はホテル乱立で比較的予約が取りやすくなっていますしね。
去年は奈良の當麻寺をウリにしましたが修学旅行的な京都奈良中心部の超メジャークラスの寺院拝観を排除することは当然です。
来年は一泊後の2日目の予定ですが少々リスキーなコースとは思いながらも自身「イイね」の感触でニヤリとしています。
布施氏からは石山寺の提案がありましたがそれは第2候補。
私の頭の中といえば、午前中に岩船寺に向かい、拝観後徒歩でわらい仏へ。タイトルは「ほっこり微笑(みしょう)仏に会いに行く」でしょうか。
そちらからぼちぼちと石仏たちを見ながら浄瑠璃寺に向かうという野山のハイキングコースを入れます。
約2キロ程度だとは思いますが歩くことが大嫌いの御年輩の方々はますますバス遠足から足が遠のくかも知れませんね。
そういった募集欠員のリスクもありますが、一番にヤバイかも・・・というのは足元不安定の行程中、何かあったとしても車が入ってこられない場所ということ。
私は「歩かないと死ぬ」などと毎度それに近い事を盆暮れ法要で語っていますが、その件触れれば触れるほど遠足参加者は減っていくような気がします。
問題はどこで昼食をとるかですが、「歩きたくない」「わらい仏など見たくない」という人向けの提案として岩船寺から浄瑠璃寺までの行程をそのままバスに乗って向かうという選択肢も用意しています。
さて、小田原山浄瑠璃寺(昨日)の続き。
現在は西大寺(真言律宗)を本山とするお寺ですが、元はといえば奈良興福寺の末寺。
興福寺と各伽藍・堂宇を「本所」とし、その地に対してこちらはその末寺として離れた地に寺院が建てられた(塔の尾<小>-塔尾-当尾 とうの)「別所」になります。
その浄瑠璃寺の主役といえば昨日ブログの通り九体阿弥陀仏の鎮座する九体阿弥陀堂(国宝指定)です。
江戸期になって瓦で屋根が葺かれていますが元は檜皮葺だったよう。
③④は本堂の裏側の様子と柱ですが、痛みは顕著のようです。
⑤は本堂入口から「宝池(ほうち)」方向を見た図。
この「九体の阿弥陀さん」の原点は私どもお馴染みの観無量寿経からです。
『往生極楽には「九種」の区別がある』との説です。
あの、お下品な国会議員さんは衆議院の解散がないということで大安心を得て(タダ貰いの給金満額保障)さぞかし踊るような気持ちでいるでしょうが、そのようなお下劣お下品の語源とも言われているのがその九つの中に出てきますね。
その九種を九観、「九品」(くほん)と呼びそれを「上・中・下」の三品と分かち(上品・中品・下品)さらにそれぞれ「上生・中生・下生」として「3×3」で九品です。
もっとも当流の一義は「平等施一切」ですので往生極楽の生来のスタンスといえども差別・区別はありません。
また宗旨はそういった違いを嫌うものがあります。そこのところは絶対。
よって御開祖はその観無量寿経の一節の「九品」の提示については逆説であるとの意図。
上も中も下もみな同じで「凡夫」ということの示唆です。
いずれのランクも「捨てるべきもろもろの雑行雑修自力の心を抱く身である」ということで往生極楽にランク付けはなく「皆同じ」なのでした。
しかし九品阿弥陀堂の阿弥陀さんの揃い踏みは圧巻です。
九体仏の中央の阿弥陀さん(丈六像)が他の阿弥陀さんより1m弱ほど大きく(2.24m)抜きんでた威厳があります。
またその光背の無数の仏たちも見事です。
光背は江戸初期の修復によるものですが上部4体の飛天像については造立当初の平安時代のもの。
その時代の九品仏が勢ぞろいしているのは他に大分の臼杵石仏のほかにないといいます。
木造仏となれば随一でしょう。
この阿弥陀さんたちの図は見て損はないでしょうね。
岩船寺阿弥陀如来、わらい仏(阿弥陀三尊)、途中阿弥陀摩崖仏2体含めれば阿弥陀三昧ということです。
浄瑠璃寺は派手さはありませんが渋好みのお寺です。
ただし奈良中心部に飽きた修学旅行のターゲットにもなっていますのでタイミングが悪いと大挙する書生さんに揉まれて疲労度が増しますね。
あの時は外国人観光客はお見受けしませんでしたが。
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