雀の如く小躍りして喜ぶ 大寝殿雀画と金物

東本願寺「大寝殿」でのお斉について記しましたがそちらの広間上段の間には竹内栖鳳が昭和九年に制作した大作障壁画三部作が描かれています。

竹内栖鳳は京都出身の日本画家で東本願寺には縁の深い画家です。そして横山大観と当時画壇の双璧をなしてその作品と言えば今の著名美術館に展示されているものばかりです。

東本願寺御影堂門に展示されるはずだった未完の大作「飛天舞楽図」の下絵の存在もありました。

 

その作品がガラス張りのケースの向こう側での展示ではありますが、目前に鑑賞することができるのは奇特なことでもありますね。そちらには絵を鑑賞することを主眼にしていませんのでスポットライトなどは設えていませんのでその絵の件を知らぬ方からすれば何となくお斉をとったあとは、ごちそうさまで仕舞うところです。

 

また、先日は枕草子の野鳥好き、特にホトトギスのベタ褒めの一節を記しましたがそこに登場する「雀」といえば何ともつれない言い回し。

 

「ただ雀などのやうに常にある鳥~」と「感動なし」風のサラリとした記述がありますが、少しばかり雀に失礼ですよね。

それは鳴き声も美的とは言い難いですしあまりにも人の近くにいすぎて日常的ではありますが。

 

さて先日は息子が私の臨終に際しての一仕事についてそれが実現するということは「雀の如く小躍りして喜ぶ」なる表現をしました。

それは私の葬儀を出しそれを差配するということは「順序正しく」の意味が含まれていてまた拙寺の16代目として血脈を継承するに至ったということです。

 

「順序」に関してはこと世間様では「当たり前」と思われる方が多いと思われますが、自然世界基本にある「無常」との通りそれはいたるところまた老若男女区別なく訪れるというのが仏教的思考ですからね。

 

そしてあのヤル気スイッチングの機縁を得ることができたのか、何とか家を継承することができるかも・・・というところまで来られたということはこれまでの息子の成長の中、抱えてきたあれこれから考えるとまさに奇特なことなのです。

 

特に私ども、親として消沈させたエピソードとして記憶にまざまざと残っているのが彼が小学校を卒業する際のクラスメイトの寄せ書きでした。

「将来は何になっている」のコーナーにて「犯罪者」というコメントがあったこと。

小学生だから・・・とは言ってもいくら何でもそのような目出度い式を控えての贈る言葉に「そりゃ、ないだろう」と奥方と目を見合わせてしまいました。

それだけ人様に迷惑を掛けずにはいられないほどのたわけ者であったかと苦笑いしたものでした。

 

その「犯罪者」がこのほど社会人としてまずまずのスタートを切ることができたことはよろこぶばかり。

これからどう転ぶかわかりませんが、とにかくうまいこと「生きて」いってくれれば私は「雀」の如くなのです。

 

「雀」といえば「歓喜雀躍」、当流では「歓喜踊躍」という言葉がありますね。

仏語で「往生を得るよろこびの心」転じて「仏法を聞くこと」「出遭いという縁を得たよろこび」ということになります。

たくさんの鳥たちがいて、もっとも身近で他愛もなく、美しいとはお世辞にもいえないどこにでもいる雀ですがあの大寝殿の障壁画にはたくさんの雀たちが描かれています。

 

左(南側)から「古柳眠鷺」①、「歓喜・喜雀」②③④、「風竹野雀」⑤のタイトルが付けられていますが、中央と北側の図の主が「雀」たち。

特に中央のものが「歓喜・喜雀」ととび跳ねて喜ぶ雀たちの図でした。これら図から思うに雀とは阿弥陀仏から見た人間のたとえと・・・。

特に北側の「風竹野雀」の雀は「強風(人生 ?)の中に人の煩悩をあらわすが如く争う雀の図が表現されています。

ちなみに雀ではありませんが「眠鷺」とは「沈思する人」「自然の清閑」を表しているのでしょうか。

 

私は是非に、いつも歓喜している雀でありたいものです。

 

おまけに障壁画を引き締める縁を飾る金物。見事です。 

そもそも写真撮影など美術館では無理な話。係員がすっ飛んできますからね。

こちらでは写真の撮影に文句を言う人はいません。

ただし相変わらず御影堂・阿弥陀堂内の撮影は不許可となっています。

 

下図は大寝殿上段の間。