「一人で死ね」論争の中、76歳の父親が44歳の息子を殺めたという件、何とも痛切です。8050問題にも通じるものがありますね。
そしてSNS花盛りの現在、発信先確定のものからの「便所の落書き」程度の殴り書きまで様々なコメントが飛び交っています。
そんな中、先般北方領土問題で「戦争~」などと物騒な言動をしお邪魔してた先方で泥酔したうえ「おっPie~~」などと超お下劣な放言をした国会議員のセンセーの御師匠さんともいえるあの人、芸人ともコメンテーターともよくわからないあの奇天烈な元センセー殿の弁、「わたしがその立場ならそうしたかも・・・」的コメントがSNSで発信されていたといいますがやはり首を傾げました。
そもそもそのようなシチュエーション(立場)の連想は荒唐無稽であって「仮想のこと」と前置きがあったとしても軽々「その立場の理解」など言うべき事ではありませんね。
何も「わかっちゃあいない」のですから。
単純に考えてしまう私はそうであるなら「第三者に危害を及ぼす心配」があったとしたらたとえ我が子の命を絶ったとしても「致し方なし」のことである、とうけとめてしまい、それならば「61万人」の親たちは今後大手を振って我が子の生命を途絶することができるのだ・・・という風に聞こえてしまうのでした。
事件の情状は汲めるとはいうもののやはりそれは犯罪・・・「殺人」でしょう。
件の被害者の父である容疑者は東大出のいわゆるエリートとのことですが、であるならばなぜ真っ当なカタチで対応(行政のシステムや警察への通報)が出来なかったのかと思います。
まずは選択肢になかったとは思いますがお寺に話を持ち込まれるなども一法。相談を受けその方の今回の判断について問われたとして賛同する坊さんは一人としていないでしょう。
冷静さを失っていた、緊急性があったなどという見方もあるかも知れませんが息子の性質を一番知っているのは親ですし、時間はそれまでタップリあったはず。
また「ぶっ殺す」などという暴言は普通に口癖の如く言い放つ人は結構にいますからね。
なにしろ自身が加害行為に及べばその後の余生にも関わり、これまで重ねてきたものすべてが台無しになってしまいます。
もしそれを承知で行ったとしたら社会に一石を投ずるという意味(すべてを知ってるエライ人でもそこまでする)もあったのかも知れませんがとにかくそのような事を容認するような社会を煽るようなことはテレビ頻出の著名芸人さんたちは特に謹んでいただきたいものです。
さて、季節がら野山を歩いて耳目から入るいろいろの楽しみの中やはりあ奴の声を聴かないと同じ自然世界に生きる者として少々の興ざめがあります。
それがホトトギスの「聞きなし」、今の私自身への忠告、示唆をいただこうというものです。
ところが今年は境内にいても聞こえてこないのです。
ホトトギスは夜間も鳴きますのでそれもまだです。
たまたま渡りが遅れているのでしょうか。
小島蕉園に蕉園渉筆の6にホトトギスについて記した一文がありました。
遠州無杜鵑、土人不知歌詩所咏、何等声也、鷹亦至希矣
「遠州杜鵑無し 土人は咏ずる所の歌詩が何等声也を知らず
鷹は亦至って希なるかな」
蕉園渉筆の中では短い文になります。
春がすぎ捕食する虫たちが増えた5月になるとアジア大陸南方より渡ってきては遠く山(お寺でいえば小堤山)の方から聞こえてくるホトトギスの声。
古来よりこの鳥が和歌等に頻繁に記されていることもあって日本人は特に親しんできましたね。
その声にその聞く者の心境による各メッセージー聞きなし-を受けて反省やこれからの指針の材料にしたこともありました。
その名を表す名称(杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑)が多くあることからもわかります。
そのホトトギスの声が小島蕉園の耳に入っていなかったということは少々の驚きがあります。
たまたまその機会に恵まれなかったというか今の当地の如くのタイミングだったのでしょうか・・・
今は東北地方にも渡ってその声を響かせているホトトギスですが当時はその北限が東海地区までは上がっていなかったかも知れませんね。
鷹の件の指摘もありますが、私は拙寺の枯れた松の大木に「鷹がとまった」と祖父・父から伝え聞かされていましたので、それについても首を傾げる記述でした。
画像は県道相良大須賀線、①は消防署の上から大沢方面。
②③は「たかばし」から。一日中耳を澄ましていましたがウグイスばかり。
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小山昭治 (火曜日, 04 6月 2019 09:48)
私もまだホトトギスの声を聞いていません。
2~3日前にコゲラのキツツキ音を聞きました。
高橋の上を上がってもホトトギスの声はありません。
今朝はアオバトの声を遠くに聞きました。
時々サンコウチョウの声を聞くときがあります。
キジ、コジュケイ、ジョウビタキ、ウグイス、ヒヨドリ、・・・
2~3年前はカワウが群れ(50羽くらい)をつくって海に向かう姿を見たのですが
この頃は3~4羽を見る程度。どこへいったのでしょう。
時は絶えず一定ではないのですね。
いつも同じでは無く、絶えず違っているのかも知れません。
鴨長明ですね。
今井一光 (火曜日, 04 6月 2019 13:43)
ありがとうございます。
たくさんの鳥たちの囀りのシャワーを浴びる野山の散策は心が癒されます。
いよいよはやくホトトギスの声を聞きたくなりました。
昨日は昼日中に歩きましたが奥方が「シミが・・・」と言い出したため
日没前頃に歩くことにします。
さぁどちらが先に聞く事ができるか・・・
私の雑記帳 (月曜日, 05 4月 2021 20:21)
参考にさせていただきました m(_ _)m
https://note.com/sz2020/n/n35e0d3a52618
今井一光 (月曜日, 05 4月 2021)
ありがとうございます。