昨朝の登戸の凶行の報道に「またか・・・」の思いとともに「やはり」とその現実に恐怖しました。
神奈川生まれの神奈川育ちの私どもにはテレビ報道から発せられる地名・固有名詞は懐かしく響くものばかり。
加害者は勝手に自らの命を絶ってその件の終焉としてしまいましたから、その凶行の理由については迷宮、ただ推測するのみとなってしまいました。
傍観者である私の軽口が許されるとすれば、そこには底知れぬ「瞋恚」「憎悪」が蓄積していてそれがあの凶行暴発に至ったのであろうことは推測できますが、その怒りはそもそもどちらから来るものかといえば、いかにも救済されない自身の心と境遇への不満足そして焦燥であったと感じます。
どちらにせよその心中はご当人自身が育んで増幅してきたものですから他者や社会に向かってそれら不遇について発散するのはお門違いというところですが、そこのところの正常な判断が出来なくなってしまい、いわゆる病的行動に至ってしまったということでしょうね。
少なからずこのような病的なるものは人間の心の中のどこかに隠れていて時に芽生えそれがまた制御不能に発達、終いには狂気世界に陥ることがままあり得るということは知っていますしそれは「誰でも同じ」であると考えるのが私ども寺の住人のスタンスで、人間として生まれたその本質であると。
その事があの事件に関して「またか」と思わせたのでした。
事案に対し「許せない」と人は異口同音に言い放ちます。
当然ではあります。
しかし私にそれを許す許さないの権限があるとすればそう発言できるのかも知れませんが、私も人間ですので(極論ですが)何時にその憎悪が芽生え、狂気に走る身であるかそれは「ない」など断定できませんからね。
たまたま両手に刃物は持たずともこの口から発した言葉によって数多の「傷害行為」をしたという懺悔があります。
そういった自分自身の悪業煩悩を棚の上に置きっぱなしにして、凶行に及ぶ他者の業に向かって「許諾するしない」などの軽口はできるものではありませんね。
事件周辺に関わった人たちにはたくさんの心残りがあったことは間違いないところですが、無意味なことと知りながら敢えて私が仏飯を食む者としての言を記すとすれば、「ワルイ(罪悪)のは寺と社会」というところでしょう。
その「寺」というのはそういった弱者に刃物を向けるやはり弱者に向って「仏法」を聞いていただけずまた、その努力を怠ったこと。
寺としての責任として、仏法、弘誓が行き届けなかった咎ですね。そしてまた「社会」はそう言う人たちの「憎悪の発芽」を放置してきた罪があります。
格差社会という言葉を聞くようになって久しいものがありますが、少なからずそれが関係するかも知れません。
あの凶行は海外要人を招いての華やかなお祭り騒ぎへの反発もあったのではないかとも思った次第です。
ピラミッドの最底辺と考える者が上級に居る者たちへの反発の捌け口として「弱きもの」たちに向けられるというのはまさに理不尽そのものでしたが・・・。
社会的弱者が幼少弱者を傷害している現状はこれからも続き、再び「またか」の言葉が発せられるのではないかと恐懼しています。
どちらかで記しましたが内閣府の調査で40~64歳の「ひきこもり」の人が全国で推計約61万人いるといいます。その半数が7年以上で、20年以上の人も2割弱。
ひきこもられているのではその情報は寺として関与しえない問題ですが、お国としてその数字を把握しているのならばもう少し何とか考えていただかなくてはね。
肉体的健常でありながら社会に関わらないという姿勢は一種の病的症状があるかも知れません。
それを放置していてもいいのでしょうか。
そういう人たちの生活はまず親の年金(「8050問題」)をアテにしていますので時間の経過(親との死別)は社会との隔絶絶望敗北感としていよいよ精神的にも追い詰めていくでしょう。
自暴自棄の心境がわかるような気もします。
政府は数ある「負の遺産」について「時」が解決するというスタンス(そのことは決して口には出しません)をいかなる事案も維持している姿を見ます。
いわゆる「時間稼ぎ的」遅延です。
黙っていればその61万人は(死没して)目の前から消えていくという計算式。
黙っていれば減るどころかどんどんこれから増えていくように感じますがね。
あの先進国の中でも最悪の法「優生保護法」の憲法違反の判断は出されましたがその謝罪と損害賠償については「時効」と。その「時」の裏ワザを使われてしまいました。
北朝鮮拉致被害の件もしかり、ゆっくりのんびり時間を使えば「なかったこと」になる、自身の判断はしないですむという発想なのかも知れません。
政治家は特にそれ(時のマジック)を効果的に使います。
「みそぎ」が済んだと勝手に決めつけてどんな不祥事があったとしても時間がたてばひょいひょい表に出てきますね。
先日のおバカさんの子供政治家として名を売った「戦争しなくちゃ」の御仁は全治2か月の診断書の提出で雲隠れしていますね。これもまた「あとから何事もなかったが如く振舞える」の算段でしょう。
お頭の中身を疑いたくなりますよ。
またバカっ高い「戦争ごっこ」のおもちゃを買いまくることが政治ではありませんね。
時間をかけてじっくり向かうところとスグやることを履き違えています。交渉とご贔屓ご接待の違いがわからない人たち。
そして私どもも念頭に入れておかなければならないことですが今社会に「人への真の思いやり」の心が失せています。
弱きをたすけることそれこそが本当の政治であり宗教ですね。
それを国民全体に布していかなくてはならないのですが。
さて、吉崎御坊に参って東別院にお参りしないというのではまさに本末転倒。
毎日お顔を見ている阿弥陀さんですが、やはりそうしなくてはいられない自分があります(お西の方もお参りしています)。
まぁ場所を変えればその「方便化身」の姿は結構違う様相でいつも新鮮ではありますね。
皆さんは本堂というとどうしても敷居が高く感じてしまうようですが、阿弥陀さんとの御対面はお気軽で自由。
寺務所にどなたか人がいる場合もあれば居合わせないこともありましょう、本堂に上がって手を合わせることは是非に推奨しますね。
ありがたくも「よく来た、気を付けて無事にておかえりなさい」の声が聞こえてくるようです。心を開いて感動すれば私の立ち位置が確認できるというもの。
そのような時、本当に「無事」ということが「大事」であることを気づかされます(生きている、生かされているという実感)。
それが当たり前ではなく奇特なことであることと。
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