初めて聞いて驚いた話2点。
息子は一泊だけして昨日横浜に帰りましたが、かなりの「車好き」であることがわかりました。
私の時代とは違って求める情報が即座に入りまた、技術革新の変遷がありますが、私の知らなかった件多々あります。
彼に教わったということです。
最近は若者の車離れが著しいと聞きますが当家のその者に限っては違っていたようです。
今彼の頭の中を占めている件といえば、自分の所望する車の代金についてどう工面し、返済していくか・・・のようです。
過度な車好きは時間も給料もそちらに投下する傾向があるために女子に嫌われるというのがスジ。
親としてはそこのところ今の家族内一大テーマですからね。
以前勤めていた会社でポルシェ乗りたさのあまりローンを組んでカップ麺を毎日食していた人がいましたが・・・
その息子から聞いて驚いた件。
①オートマチック車全盛の昨今、ゴーカートの如く「ミサイル」化して人々を殺傷する事件が頻発している現象、その抜本的対策が待たれますが、一部の若者の中でその件不満に感じて、「オートマ→マニュアル」へとミッションを載せ替えして乗り回している者があるといいます。
息子も私の車の趣向からそれを受け継いでいるらしく、オートマチックの市販車は「嫌だ」という主張。
AT車のミッションに改造を施しマニュアル化したものを探しているとのことでした。
まったく驚きでした。わざわざそれまでする者がいるとは・・・
メーカーはその需要の存在は無視しているのでしょうか。
教習所でかつて「オートマ車専用」などのコースが出てきて驚いたことがありますが、今後マニュアル車が無くなるように感じる現状はいかにもメーカー効率主義の際たるものかも知れません。
「ミサイル車」を次々に社会に輩出している自動車メーカーはその(ペダル踏み間違い)対策こそ一番に考えなくてはならないことでしょう。
「マニュアルこそ・・・」くらいの宣伝をして欲しいものです。
マニュアル車というアクセルとブレーキ以外のちょっぴり複雑な作業を提供することが自動車の運転技術維持のポイントであることに決まっています。
アクセルだけ踏めばすっ飛んで行くようなメカニズムは便利の反面、時として「化け物」になります。現実に日本全国いたるところでその無慈悲が牙をむいています。
そもそもその「化け物」は「化け物かもしれない私」が操作しているのですからいかにもタチが悪いことでもありますね。
そして驚き②。
そのアクセルとブレーキの二つのペダルの件、常識と思ってそのような事を考えもしませんでした。
その仕事といえば「右足」のお役目ですね(私は時に左足でもブレーキを踏みますが)。
その右足についてですが、踵(かかと)を支点にして(床に着けて)その両ペダルを瞬時に選択判断して~左右に振って~「踏み込む」というワケですね。
しかし年配者に多いそうですが、その「踵支点」ではなく踏む際は「右足は中空」だと。
床を支点にするのではなく足を浮かしてそのたびごとにペダルを(探して)踏むことが習慣になっている人がいるといいます。
そのクセのついている人が「間違い」を起こすのだと聞きました。なるほどです。浮かして探すという間があるということですしその一瞬の判断を要する時間の中、「間違えて・・・」があるのかとも思います。
常識と思っていた事、案外世間では違うということが分かったのでした。
そういえば「ペダルの踏み方」「右足の待機の仕方」などについて教わった覚えがありませんでした。
さて、先日のお寺の遠足では吉崎御坊跡に皆さんをお連れしました。
勿論そちらへは蓮如さんが滞留した御堂の遺構への訪問という一義がありますが、何と言っても高村光雲の手によって具現化された蓮如さんの像に会いに行くということも主眼です。
そちらで皆さんから「コレって何 ?」と質問が投げかけられました。画像の「尻尾のある女性の像」です。
私も案内する割には勉強不足でそこのところ「わかりませ~ん」でカンベンしていただいたのですが、サラッとお勉強。
こちらがいわゆる「大蛇済度」の方便ですね。
その伝承と言えば東国における親鸞聖人関わりの言い伝えを連想しますが、こちら蓮如さんのいた吉崎でもその手のお話があったようです。
要は煩悩具足の凡夫、特に怒り妬み恨み(餓鬼畜生道)に満ち満ちた「化け物」の如くの「私」がそれに気づかされて(信心によって)反省し逆に晴れて菩薩道を歩むようになるということでしょうか。
またコレを一言でいえば「悪人正機」。
特に女性がその例としてあるのがその伝承の特色ですが、その件古今東西共通のようでギリシャ神話に「蛇女ゴーゴン」
(メドゥーサ)などがあったことを思い出します。
ただしその「尻尾」のある「私」とは男女の別などないというのは当然のことでしょう。
また「蛇」は伝承としてその住処といえば「湖沼」。
そこで連想するものはやはり「水」です。
よって火災除けのおまじないのようなものを兼ねているのでしょう。
昨日の辰巳用水もそうでしたが、どちらの施設(寺も城も)「水」こそ命の時代が長くあったということですね。
「蛇口」の名の通り「蛇」の名は残っていますが、いかにも水に関してもオートマチック風に便利になったというものです。
先日のものとは太陽の角度が違う蓮如さんの像。
訪れる時間・天気によって変わりますね。今回はしっかり顔が映し出されています。
⑧画像の細い登りの階段を皆さんのお尻を叩いて・・・。
無事全員で散策することができました。先日も記しましたが障害者手帳5名、70歳以上多し・・・です。
これをやるから参加者が減るのですが。
この道の左側にお東、右側にお西の別院があります。
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