近江市場の人混みと行列には辟易。
観光客気分で「ちょいと昼食でも」とその場に足を踏み入れたとしたら人によっては後悔の念がもたげるかも知れません。
とはいいながらもこちらでの穴場的私のお好みの店が市場の2階にありますので今回もそちらに向かいました。
観光客向けのバカ高い設定の海鮮丼が並ぶ中、そちらはまぁ許容範囲というところ。
前回もそうでしたが、一人の場合はカウンターに座ります。まぁ店員さんの案内ではありますが。
前回同様にお隣は外国からの御客人です。前回は右隣りがスペイン語に左がロシア語が飛び交っていました。それにしても「観光地」のうち主たる場から離れたこちらまで外人さんが溢れているというのには本当に驚きです。
そして今回は、といえばお隣さんはフランス語の4人組年配者。
後から来た私が食べ終わった頃(丼もの)、そのお隣さんのテーブルに出された膳は寿司でした。こんなものが出されるのにそれほど時間がかかるものかと気の毒に思いましたが、これからがショータイム。
するとその人はまず、店員に箸を指さして指で罰点マーク(他のお友達は箸を使用)。
スプーンとフォークを所望していました。
醤油の差し口のある瓶の蓋を外し小皿にそれを注ぐことなしに直接各握りの上からそれを適宜垂らしていました。
店も外国人向けに寿司の食べ方の講釈はもはや不要と感じているのか~万国共通~英字であってもその説明はまったくなし。
日本人なら瓶を傾けるだけで醤油はスムーズに容器から注がれることは承知していますね。当然の如くです。
私はじっと観察の間に入っていました。
真っ隣での出来事ですから特に首をそちらに向ける必要はありませんね。
すると届いたフォークにて並んだ握りをすくって、口の中に・・・ただしイカの場合は食いちぎることが出来なかったのか手を使って引っ張っていました。
「へ~え」と思ったのは軍艦巻きの食し方。
海苔が苦手なのか、ただの包装紙の類のものと考えているのかわかりませんがそのフォークを使ってクルクルと巻物を外し、手を使いたたんでからトレーの隅っこに。
あとに残った不思議な形状になった物体をフォークにてバランスをとりながら口に運んでいました。
どう寿司を食べるかなど私のお節介は無用。正解などないですからね。そもそも私がその人の隣に着座した時、彼は椅子の背もたれに架けた自身の持ち物について、不安になったのかそれを確認する仕草をとっていましたので、まぁそれは当然とは思われますが「オレは盗人じゃあないぞ」の反発心も起こりその違和感ある所作の色々について見物を決め込ませていただいたのでした。
さて、考えてみるに近江市場にたまたまなのかあれほど外国人らしき人達に溢れているにもかかわらず英語が聞こえてこないということはいかに日本の観光地が国際色豊かになったのかと思うところ。
ヤンキーは何処へ・・・ですがこのほど私が向かったあちら、昨日記した鈴木大拙館に行った際はまたびっくり。
コチラにはその米国人・・・英語圏の人たちが集まっていました。
その鈴木大拙という人については「当流の僧籍にある人なら当たり前のように知っている人」と遠足バス車中で触れましたがハッと思って息子に問い合わせてみると「バカにするな」との返答。やはり「当たり前」とのことでした。
その人は大谷大学の教授をされていて当流でいえば師の晩年期に「教行信証」を英訳(→本山)、そちらをアメリカに紹介した人でもありますが、特に「禅」について今のアメリカでの人気のベースを作りました。
著作は英語版多数、いわゆる「日本の仏教」と心を紹介した第一人者です。
しかしながら、あの人混み多しの金沢中心部にあっても(金沢城からは少々歩く本多町)、そう大きくはなく、人気の名所ともいえないあちらに「その件」いかにも連想できませんでしたが、ここにはその「英語」が飛び交っていたのです。
如何に彼の思想がアメリカ人に影響を与えていたかここに思い知りました。
米国から訪れたであろう若夫婦が乳母車に赤子を載せて、あるいは男女ペアが気軽にデート散策の時間を楽しむかの如く、そして年配者が大人の瞑想スペースにと訪れていました。
受付の方も英語対応完璧。
飲み物と展示スペースでの写真撮影の禁止について丁寧に説明していました。
そこで一つ。
説明書きによると大拙は「妙」の英語表現に苦慮したといいますね。
その字は当流の女性法名としてかねてから使用頻度の高い文字で、父も祖父もその字の法名使用率は9割を超えていたでしょうね。
「妙には戯れの一面があるが、たんなる娯楽ではなく、実に心を奪うような神秘、または魔術を感じさせるものを伴っている」
そして英訳の件、『シェークスピアのAs you like it(お気に召すまま)にその「妙」をみることになった』とのこと。
O wonderful.
Wonderful!
and most wonderful wonderful!
and yet again wonderful
その「妙」は私にいたってはいまだ法名として1度も使用したことがありませんでしたが、それほど「wonderful」であるならばその使用を考えない手はありません。
画像は展示空間を出て「水鏡の間」(Water Miller Garden)。
そちらに突き出るような形で「思索空間」(contemplative Space)があります。
場所は本多町(こちら)。
旧本多家下屋敷、石川県立歴史・加賀本多博物館の丘の真下という感じ。
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