昨日はウソのよう。夏の蒸し暑さに激変です。
夜になっても室内は27℃を指していました。
先週末は本堂にストーブをどうするすかなどと思案していたくらいですので。
天候の変化もそうですがそれに対してのボヤキの数々も我ながら驚きです。
一番にイラっとするのが、私のテーブル脇にあるストーブ2台の邪魔さ加減。
これからあり得る気温低下のために電気ストーブの一つくらいは置いておいても石油ストーブは早いところ片付けなくては。
蹴躓いてかないませんね。
さて、昨日は逆切れ風「勝手にしやがれ」「自由にどうぞ」などとちょっとばかり憎らし気なフレーズを記しましたが、実は歎異抄の中にもそれと似たような記述がありますね。
それは歎異抄二の「念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなり」です。
そちらでは「どうぞご自由に~、ご勝手に~」と言われてしまうのですがやはりその手の言葉は案外と相手を不安にさせてしまうようです。
私も色々何かと御門徒さんから問われることがありますが、大抵の場合その手の返答をしてしまいます。
その癖というのがやはり当流根底に流れている「はからわない」「自然法爾」があるからですね・・・。
歎異抄第二全文は各検索におまかせするとして、この章の最後に記されたその「面々の御はからいなり」以上に親鸞さんのちょっとした突き放し文句が面白いのが・・・
「往生極楽の道」の肝要を問い聞かんがためにみなさんが集まってきたところ
「念仏よりほかに往生の道をも存知し、また法文等をも知りたるらんと、心にくく思し召しておわしましてはんべらば、大きなる誤りなり」と念仏以外の浄土往生の道の模索に対して釘を刺してなお
「もししからば、南都北嶺にもゆゆしき学匠たち多く座せられて候なれば、かの人々にもあいたてまつりて、往生の要よくよく聞かるべきなり」のところです。
「もしそういうこと(お念仏以外の自力の修行往生について)をたずねたいのなら、南都(奈良の興福寺を主たる有名大寺院)や北嶺(比叡山)には、念仏以外の道や教義の研究をされている立派な学僧たちが多きにおいでになるので、そちらの方々にでもお会いになり、往生の要たる教えをしっかりたずねになるがよろしい」です。
これは「折角だがここに来られる意味がないのでお帰りください」と同じ意でしょう。
親鸞さんはまず「各々自由」であることが大前提であってそこから「はからい」のない純粋の他力の念仏こそが「往生の道」であることを強調。しかしそのためとはいえ紳士的優しさはありますが言っていることはピシっとしたストレート。厳しさというものを感じます。
さて南都の系列、岩船寺の続き。個性溢れる石仏たちを。
①②③石仏龕不動明王立像(重要文化財)から。
昨日記した重文の五輪塔の手前にあります。
寄棟造の重たそうな屋根を奥の壁と2本の柱で支えて石室(144㎝花崗岩)としています。
その奥壁に不動明王の立像が薄くレリーフされていますが、その脇左右に「応長第二(1312)初夏六日 願主盛現」とあるようです(読み切れません)。
その時代から(700年以上)この石の柱が重量のある屋根を支え続けていることに驚きます。
川勝氏の指摘ですが、この応長二年の「初夏」(「四月」)は実は「無い」のでした。
その年の三月十六日に改元されていて「正和元年」というのが正当。
これは「開眼」の日にちを事前に決めていて、依頼された石工が既に彫りを進めてまっていたということ。
こればっかしは直しきれませんからね。
元号の改元といえば昔から混乱がつきものだったのでした。
④⑤鎌倉時代末期地蔵石仏
⑥南北朝時代の地蔵石龕像
⑦⑧門前の石風呂。
⑨~適当・・・
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