「減少数・減少率 過去最大」の表示上のインパクトなどどこ吹く風の躰でしょうね。
昨日記しましたように政治屋さんの本質は「自身安心大切大事」がモットーなのでしょうから。
これは昨日発表された日本の総人口についての表現です。
その件「8年連続」の減少で特に生産年齢といわれる15~64歳の割合が過去最低。
半面、年金受給者世代と外国人の割合が増えているという数字も示されました。
これはどう見ても「政治」というものがやるべきことをしてこなかったということを表しています。
国政政治家として晴れて当選したら自身の継続的安定のみを志向し、地元への還元策(橋を架けたり道路を作ったり文句を聞いたり)・・・これは次回の得票に影響・・・の提言思索程度のアピールはしますが、本来のやるべき国の方向性、修正したり決定することが出来なかったということでその落第点ということなのです。
有権者の方も見据える投票動向は「地元有意」の意識ばかりが主眼ですので国に出た政治家はそのやるべき本質を見失ってしまうのです。
ということでこの数字に危機感を抱くかどうかの問題になりますが、おそらくはどちらの政に関わる御仁も「あとはよろしく」のスタンスなのでしょうね。
アイスランドを見習い経団連など票のまとめ役におべっかを使わない政治に脱却しなくては人口は増えませんよ。
そちらは会社経営(金儲け)と自己保身の塊なのですから。
「経済こそ」の姿勢とそれへの過度の国政誘導は国が破綻するということだと思うのですが。
人が居ない閑静な野原は私の大好きなところですが、人口の減少に関してのこの手の数字をただ漫然として手が打てない状況を露呈している政治にはやれやれを感じます。
さて、昨日記したの奥山池の先、二つ目の右手に見える池を過ぎて数百mほど農道を進むと右手にすっと立つ杉と桜がてっぺんにある直径10mほどのぼた山が見えます。
農道のスグ脇で確認しずらいかもしれませんがそれが落合権守の塚山といわれているところ。
看板が立っていますので見落としして通過することは無いでしょう(場所はこちら)。
落合権守とは弘安年間(1278~1287)に近くの小夜の中山付近に出没した「やいばの雉子」なる盗賊を成敗するために都から派遣された盗賊ハンターのグループの首領。
「権守」なる大役(副長官)をお上より頂戴し家臣を連れて討伐に下ったものの結局はその盗賊の首をあげることはできず、別の武将にその手柄を取られてしまったのですね。
その旨恥を感じたか、落合権守は帰京をあきらめて当地に土着したといいます。
責任の取り方としては「なるほど」と潔し。
本来やるべきことが出来なかったということですからね。
そのぼた山の頂上に上るには工夫が必要です。
傾斜がかなりキツイので参拝に関してはかなりの覚悟が必要でお気軽にというワケにはいきません。
傾斜の緩い場所に取付いて上れば頂上には杉と満開の桜がお出迎え。そしてその木の間にはかわいらしい五輪塔とそれら残欠が無造作に据えられていました。
この落合権守の「落合」が菊川の現在の本所の地を中心に見られる落合姓に繋がっているというのが定説です。
地元の方に聞いた話によれば以前その落合さんの本家筋の人がこの塚を掘ったそう。
すると刀剣らしき鉄片が出てきたといいます。
石塔残欠の様子からすると、複数を感じますので当初は一族の墓としてあったのでしょう。
小さなぼた山とはいえ風通しがいいため石塔も風に煽られて転がり落ちることもあったのでしょうね。
桜の枝も折れながらも花を咲かせていました。
「塚と桜」のコンビはやはりマッチしますね。
田圃の方も既に水が張られてスタンバイ。
日本人の思う原風景、稲の緑と蛙の声もそろそろ。
「田」の付く苗字が多いわけですね。
いよいよ寒い空気から「さよなら」と決別したいところです。
先般は「竹」の字のつく人が「塚」と「桜」に先立ってあの役を辞めることとなり「さよなら」をしていましたがこれからのの季節はその藪の中もいよいよ賑やかになりそう。
最近はタケノコの健康食としての効果が言われるようになりましたし。
画像①の池の奥、農道へ。
③④の図は通り過ぎて振り返って見た塚山。
⑥の枝は今にも折れそうですが、花を立派に咲かせています。
添え木をするなりの対応を期待するところですが。
最後の画像が昨日記した「奉仕橋」の案内板。
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