永田町の茶番劇、難波の「よしもと」ほどの爆笑はありませんがそこそこの見せ場がありました。
それは二幕あって双方主役、いろいろかましてくれた挙句、結局はお二方とも辞表提出ということで幕引きが計られたというところでしょう。
お笑いで観客がボケ役のギャグに「おもろい」と感じるところは道化の如くの阿呆または突っ込み役が困るような事を腹の中を隠さず本音で語ってしまうといった面白さですが、その常道たるポイントをしっかり押さえていましたね。
しかし本音、本当の腹の内をおしゃべりしてお笑い漫才がウケても、クビになってしまうのが永田町政治屋世界。
「許してやったらどうや」じゃあ済まなかったのでしょう。
あそこは「本音を表に出してはイケない」というのが第一義なのですね。
本当の心の内を出してしまったら「クビ」になるなんてなんと可哀想なことを。私は大いに同情していますよ。
何よりも大切なものは自分たち(「復興より大事~♪♪」「忖度しちゃう~」)。コレ政治屋の基本中の基本でしょうからね。
そもそもあの人たちの世界はやはり「巧言令色鮮し仁」。
突っ込み役の「令和」選定の理由、ここでも大いに合点した次第です。
私の如き一般庶民には到底ついて行けませんね。笑うところなのか笑えないところなのかもわからなくなりました。
クビになった御両人のお名前のイメージは「塚(墓)・桜」+田圃。
並べれば双方引き立て合ってよく似合うことこの上なしの風雅を感じてしまいます。
勿論私の好みの単語文字です。
時節柄その「桜」の季節とあればまさに「桜散る」などと洒落たくなりますね。落ちずに強くしがみついてはいましたが。
さて、昨日は雨雲晴れて奥方と磐田方面へ。
東名高速を使用せずに国道一号線に出るには各選択肢がありますがその日は、バイパスから牧之原I.C.を過ぎてスグ左折。
適当に菊川駅近くまでショートカットし菊川「西方」経由「道の駅」に出るコース。
「西方」は拙寺三代「祐傳」の父、成瀬藤蔵正義が三河でひと悶着起こしてこの地に出奔してきたことを縁にしたのでしょう、三方ヶ原で正義が亡くなったあとにその子らが住んだ地です。
と言ってもそれは今のJRの南側あたりですが案外とその「西方」の地は広範囲です。
北側に延びてその山の向こうは日坂や金谷に続きます。
その西方の地には中心に西方川が流れていますが、私が菊川駅裏側から道の駅に向かうにはその川に架かる「奉仕橋」を渡ります(場所はこちら)。
その際既に葉桜となって見頃は過ぎていると思っていた桜並木はまさに満開の様相。真如の桜を拝んだ気分でした。
今年の桜は一斉に咲くことはなく微妙に地域によって違うようです。
年に一度の彼女らの主張披露の宴につき合おうと、私どもは本来曲がる場所(道の駅方向へ)を通り過ぎて奥山池まで。
そこまで桜の道が続きます。
そこからは農道に近いものがありますので地元農家の人以外は見かけることはありません。まさに花見の穴場。
やっとホッとできる一日を過ごすことができましたね。
奥方は土手の前に立って「コレが喰える・・・アレが喰える・・・」と春の息吹の新鮮に目をやっていました。
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