甲州に人質として奥平仙千代に彼と同行した萩(豊川)奥平の虎之助について記しました。
彼の墓と伝わる地の看板にもありましたが「日近久兵衛貞久娘於ふう」の存在もその物語(実話です)の中、悲哀というものを増長させます。
勝頼の怒りというものが「そこまでやるか」というこの無慈悲を感じ取る事ができるというものです。
奥平家の文書には「舞々坂」にて磔とあり、その処刑方法が当時の罪人に対する特に江戸期のオーソドックスが記されていますがやはり仙千代や虎之助同様、「鋸引き」というものも考えられます。
というのは処断を下す者の「怒り」の根源が同様であるということからですね。
怒りの矛先は勿論「裏切り」の主人公奥平貞能ですね。
復習を兼ねて略系図を記します。
奥平貞俊 に始まって
→貞久→貞昌→貞勝→貞能→信昌→家昌・・・
勝頼でなくても怒るのはやむを得ないところでしょうが、人質と出された仙千代ほか奥平一統の二人、そして傳役(ふやく もりやく)の黒谷重吉に乳母たちも例外なく処刑されたり後を追うなどしてその3人の周辺で果てているはずです。
その処断の発想は元は「怒り」ではありますが、今一つの目的は何といっても「見せしめ」ですね。
甲州に「たてつくと・・・こうなる」を人々に見せて震いあがらせその恐怖を地区に伝播させなくてはなりません。
そのためにただの恐怖心だけでなく街道筋に処刑場を設置する必要があるのです。
ランダムに通行する(こちらでは鳳来寺参詣)人たちに木の鋸で首を切らせ、離れた首は晒すというのがスジですね。
3人の若者の処刑地が仙千代を中心にそれぞれ逆方向に分散させていることもその効果を狙ったものでしょう。
於ふうの墓と伝わる地は鳳来寺小学校の南東の森の中、字名で「玖老勢糀坂」でしょうか(場所はこちら)。「舞々坂」なる地名は今は消滅しているようです。
今の県道32号線からは下方に降りなければなりません。
私は森の中の於ふうさんに数度会いに行っていますがこの場所は現在に至ってはまったく人が通行する場所ではありませんね。以前は数基の五輪塔などもあったといいますが、今は石碑のみ。おそらく参拝者は殆ど無いような感じがします。
車を停車させる場所がありません。離れた場所に空き地らしき場所はありますが自己責任。私は小学校の駐車場に置かせていただいたこともあります。
今の地図上「地造入」なる地で32号線が大きく左に曲がる辺りにガードレールが切れる場所(画像④⑤⑥)があってそちらから崖を下りる(⑦⑧⑨)などして行きつくことができますが、お勧めは小学校のグラウンドからですね(最後から画像4枚)。
森の中の薄暗い隧道⑪を潜れば於ふうさんの墓はありますが、「まさかこんなところに」というのが本音です。
おそらく現在の道路の下あたりから小学校のグラウンドを突っ切るように旧の街道があったのでしょうか。
どちらにせよ夏場は植物が茂ってより一層行きにくそうな場所です。
於ふうさんの物語の悲哀は十三歳で人質として親元を離れ、甲州での生活3年、郷里に戻されてすぐ十六歳で亡くなったということもありますが、彼女の場合「実は貞能の長子貞昌(信昌)の許嫁だった」とも言われているのです。
当主の奥方が人質に行くというならいがある中、貞能の奥方の病弱に息子の許嫁が駆り出されることもアリなのかも知れませんね。武田側の人質選定の意向が重視されますので十分にあり得る話です。
徳川家康と織田信長連合軍はどうしても欲しい三河の奥平貞能への懐柔工作について家康は信長の提案もあって家康の娘亀姫を貞能の長子貞昌(信昌)に与え、尚且つ加増するというものでした。
その特例的条件を貞能に持参した家康の家臣、本多広孝の次男重純へ貞能娘の嫁入りという話もありましたが、これらは徳川家臣団として奥平家をガッチリ迎え入れるという「人質ではない姻戚」を提示しているのです。
武田と徳川の奥平重要のウェイト、注力度の違いがハッキリと分かる思いがしますが、やはりどうしても気の毒なのは於ふうさんです。
自分が嫁入りするはずの奥平家(貞昌)は家康の娘を娶りそのために於ふう自身はその家の繁栄のために切り捨てられるという運命をたどらなければならなかったのでした。
それを重点的にピックアップして長篠城~設楽原の合戦を大河ドラマで描いていただきたいと思ったところです。
脚本を書いちまえ? いや、ムリでございます。
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小山昭治 (火曜日, 12 3月 2019 08:59)
於ふうさんのお墓の前で祈るときは「南無阿弥陀仏」でしょうか、それとも
「正信偈」でしょうか。
それともただ手を合わせるのみ。
ちょっと気になりまして。
今井一光 (火曜日, 12 3月 2019 09:08)
ありがとうございます。
どちらの墓前で合掌するときもお墓があまりにたくさんあって合掌を省くときも
常に「なんまんだぶ」です。
神道系奥都城であっても神社本殿でも「なんまんだぶ」。手は打ちませんが・・・
まぁ墓前以外でもなんでも「なんまんだぶ」ですが・・・。
口に出したり心の中だったりいろいろです。