先日記した信長朱印状の件、つづき。
何が何でもとその朱印状の本状をこの目で見て、繊細画像まで手にしたいという欲求は日頃愚鈍な私の背中を強く押しました。そこでその書面の所有者にダメ元で連絡を取ってみたのです。
まずその朱印状といえば
①信長の「天下布武」の朱印(世間様説得力大アリ)
②遠州高天神城に発せられたもの(地元の私の超推奨の城)
③信長の戦略上の駆け引きについての手紙(面白すぎ)
④遠州小山と滝境(滝坂)の両城(特に郷土の地名滝境城の名)
⑤特に滝境城は私の一押しの牧之原市に残る戦国の城(時代は戦
国でなくては・・・)
等々の放ってはおけない重大性を感じたからです。
滝境城は黙っていては牧之原市で埋没させられそうな城址ですからね。
今後市の調査のウェイトは「さて勝間田城に・・・」という方向性となるのでしょうが、私はここで「ちょっと待ってくださいよ・・・」のちゃちゃを入れるが如く「私のゴリ押し資料」として大きく牧之原市民に聞き入れていただこうと思っているのです。その材料ですね。
というわけでその管理をしている茨城県立歴史館の歴史資料課のN氏に問い合わせしました。
この書状は別の「所有者」がいらしてそれを歴史館に「寄託」された代物でした。
事情を説明し所有者への了解を得ることになりました。
その際は「所定の書式にて記入、提出する」という段取りまでしていただきましたので「水戸まで行くぞ !!」とかなりの気合が入っていましたが昨日は「やはり画像撮影は無理」というお断りの電話がありました。
「貸出はしているが個人レベルでは・・・」ということでした。
ただし福山城博物館で開催された企画展に貸し出した際、そちらでは図録をつくっていて、その朱印状が掲載されているとの情報を得ました。
早速福山城博物館に図録発送の問い合わせをしましたがあいにく「売り切れ」で残念でしたがその際、「そもそもその文書は今貸し出し中でこちらには無い」ということもうかがいました。
それが今度刈谷にて新設される刈谷市歴史博物館のオープニング企画の出品ということ。
1か月以上も前に貸し出しているということはそちらでも図録を製作するということのようでした。
N氏は「水戸より刈谷の方がお手軽ですね」と仰ってくださいましたがまさにその通り。
水戸の帰りに牛久大仏や親鸞聖人の旧跡を回るという目論見は消えましたが刈谷とはなんともお気楽気分(都内通過のうえ距離的に京都以上)。
現物も目にできて図録も手に入って申し分なしの情報を得ることができました。
会期は2019年3月24日(日曜)から5月19日(日曜)までですがその朱印状の展示は最初の1週間のみとのことです。
企画展のタイトルは
開館記念展
『初代刈谷藩主 水野勝成展
~「鬼日向」のいくさとまちづくり~』
通常月曜日はお休みのようですがオープンの次の日3/25は開館するようですね。お天気次第ですがなにしろ1週間が勝負。
水野勝成はその信長からの朱印状の宛先の父忠重と高天神戦に従軍していました。
後に忠重に勘当されて奉公構までされて放浪、一時期は仙石秀久から佐々成正、黒田孝高、小西行長配下となるなど異色の経歴を持つ徳川譜代と言っていいかも知れません。
結局は三河刈谷に収まるわけですが「鬼日向」とは明智光秀の名のりでもあった日向守からですね。
「鬼」を付けて明智との混同を避ける意味もありますが、そもそも彼の鬼の如くの戦ぶりがあったからですね。
その後福島正則のあとの福山に入ってそちらで没しています。
よってそちらでも彼に関わる高天神城包囲戦の信長朱印状が展示されたということですね。
家康の母親の於大の方は勝成の伯母さん。
画像は以前刈谷城周辺をぶらついた時のもの。
尚、場所は亀城公園に隣接(北側)しています。
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