京都の息子から始まった当家のインフル禍のドタバタ劇に横浜の「奥の墓道」氏が挑戦状を叩きつけてきました。
「オレは今春インフルエンザを患わない」です。
もし違ったら「寿司」を振舞うと。
なお恒例の「鰻重」は時として重たく感じられるようになった昨今、健康志向に傾いているということです。希少生物ですし。
まぁ来週以降温かくなりそうで適当に雨の予報もありますので環境としては収束の方向でしょうが。
しかしこうなったら彼には一度経験していただきたい。
ゾフルーザにする?リレンザにする?
さて、学問と言えば「筆」というのが昔からお決まりですが、いつしかそのグッズは鉛筆-シャープペン-ワープロという具合に定位置を失っていきました。
今は「ペーパーレス」を重点に置く自治体や企業も増えつつあって「書いて残す」というこれまでの文書の形は消えようとしています。
以前京都蘆山寺の池田遙邨の筆塚について記しました。彼は絵描きでしたが筆塚を建立する意図はその自身の表現の立役者であり最良の相棒への愛着と深い感謝の気持ち以外の何物でもないですね。
蘆山寺は紫式部という日本文学の最高峰にいらっしゃる方の邸宅跡というのが通説でその手の類の碑があることに何らの違和感はありませんね。
文学はもとより文化の中心地である京都にあってもしかりです。
その「筆塚」が相良の男神にありますが本来あった場所ではなかったということからいっそのこと相良庁舎に移設したら・・・などという話が史跡研究会でありました。せっかくの筆塚が相良でもかなり奥まった薄暗い杜の中で、覆堂もないまま今後劣化摩滅するのが惜しいということでした。
長谷川さんによれば地元でしっかり管理しているよう。こちらでちゃちゃを入れることはおこがましいことだと思い、静観することとしました。
筆塚の詳細については河原崎次郎氏の記述が広報さがらのふるさと人物誌にあります。
天明の銘のある水盤もなかなか立派でこちらも大切にしていただきたいものです。
しかし当家の過去帳は汚いし字も・・・そして情報量が少なすぎ。
血は争えないということ?
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