火事のニュースが相変わらず多いですね。
強風下のものとしばしば悲惨な結末となる夜間の火事がどうしてもこの時期に集中してしまいます。
年配者の火の不始末もその原因として少なからずあるようですが、同居のご家族は常に「自分の事」と同様にケアする必要がありますね。
独り暮らしの方でしたら隣近所でフォローしていかないとこればっかりはその被災を免れない事となりますからね。
亡き父は指先がおぼつかないことから石油ストーブのタンクの栓が完全に閉められなかったことを思い出します。
また、電気ストーブでも厚着の上掛けに引火したり、掛けた洗濯物などがストーブに落ちたりが主な原因になっていますね。
どうしても洗濯物を早く乾かそうとしてのその件も相変わらず火災の原因となっています。また父も母も電気ストーブや電力量のかさむ電化製品ののタコ足配線でコンセントが焦げたことがありました。
いずれの場合も卒倒しそうになりつつ早期の発見に胸を撫で下ろした思い出かあります。
拙寺もかつて2~3度、本山も「火だし本願寺」と皮肉られたように何度か出火経験があります。
一番ケアしなくてはならないのはいつの時代も「私自身」ということで。
最近は各充電器からの出火があって信用はできません。
寝ている時は枕元の携帯のみ。人のいない場所で充電器を使用することは怖くなりました。
そう運の良さばかりは続かないでしょうから。
さて、表記「出来 しゅったい」について。
「出来る」で使用することが多いですが(上出来、出来栄え・・・)
古文書等も頻出です。
まず、「しゅったい」読みとなり、その際も意味が二通りほどありますね。
「横須賀ニ城ヲ御築城成 サレ、出来」の時は「できあがり」でそのまま「出来ました」の意。
そして通行手形の補足文「此者之義ニ付故障之義出来候ハ」の如く「発生する、起こる」でした。
ということで火事の場合は後者の意味の「出来」になります。
松平家忠(深溝松平家)の家忠日記に高天神城取り巻きの各陣で「出来」した火事と自身陣中でのそれが記されています。
天正八年十二月五日
酒左(酒井左衛門尉忠次)陣所ニ火事出来候、
同 六日
石川伯耆(数正)陣所ニ火事出来候、です。
先日は信長朱印状について記しましたが日付は「天正九年正月二十五日」でしたね。
事象だけを短く記していますがそれはまぁ日記ですからね。
しかしきっと「他人事」と思っていたかも知れません。
するとその天正九年の正月十一日のことです。
今度は自分の陣から火を出してしまったのでした。
その際は「出来」ではなく「出」と言い回しとトーンダウンしているようですが責任についてはかなり重く感じたようです。
他者の失策を記して自分は・・・ですね。
このブログと同様です。
ただし家忠は自分に対してではなく「中間」(ちゅうげん)を成敗したのですが。
家忠日記(「静岡県史」資料編8 中世四1366)
われわれ陣所ニ火事出候
出火候中間せいはい(成敗)
家康よりたる・さかな給候
余りにも簡潔な情報で推理は色々出来ますが
他者はどうであれ私は部下の責任は取らせる・・・
(それでもその件自身が責任を取るのと同様か)
家康はその件を知ってか見舞いとして? 酒と魚を差し入れている(許している)ということでしょうか。
まぁそう気張るなというなだめる意味なのか純然たる見舞いなのかわかりません。
まぁ火など出せば恰好が悪いものです。
注意の継続を。
画像①は小笠山の西、スタジアムから。
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