昨晩のNHKファミリーヒストリーを視聴。
冒頭部分からこの町「相良」と知った顔の色々が登場していました。拙寺のカットは鐘楼裏の地元伊東家の墓石でした。
興味をそそったのが伊東四朗氏母方の地の探索で紹介された熊井城と熊井城主の五輪塔ですね。
他にも田沼意次の名やら史料館とそちらの古地図も・・・「相良」と牧之原市の紹介に一役買っていました。
「ファミリー」という名称と番組の内容から感じるのはやはり家族という単位があっての「個の成長と今がある」ということですね。親もその親もそうであったように今いる人たちすべてがです。
ところがどうでしょう。
昨晩のニュースにもありましたが「子殺し」について、最近よく見聞きする世になった気がします。
過度なしつけと称した折檻によって死に至らしめてしまうような事案が多々あるようです。
私も過干渉なところもあった時期も無くはないような気がしますが、子供に対してその手の行き過ぎたプレッシャーをかける親の事を「毒親」と呼ぶようです。
プレッシャーも時にイイものワルイものありますが、この毒親の毒というものは子に対して概して「悪影響を与える」ような圧迫のこと。
子供から感ずるに「親の不信」もあるでしょう。
昨晩のニュースにあった亡くなった10歳の女の子は学校の教師に「親にイジメを受けている」と訴えていたそう。
特異な例なのでしょうが、本来「家」とは心の安らぎ(安心)を得る「帰る場所」です。
もはや「家族」「親と子」の関係すら希薄化している傾向が出現しているでしたらそら恐ろしい風潮です。
さて、表記は万葉集、巻五(803)から。
山上憶良の子を思う歌で有名な歌ですね。
全て記すと以下。
「銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝
子に如(し)かめやも」
です。
「どのような宝物であろうが子供に勝るものはない」でした。
この歌は添えの「反歌」で、長歌の方が
「瓜食めば 子供念(おも)ほゆ
栗食めば まして偲はゆ
何処(いづく)より 来たりしものぞ
眼交(まなかい)に もとな懸りて
安眠(やすい)し 寝(な)さぬ」
(『万葉集』巻5-802)
瓜を食べても、栗を食べても不思議に子供のことが思い出されて仕方ない。眠れないほどだ・・・
さらにその歌に添えられている言葉が
「釈迦如来 金口に正に説きたまわく
衆生を等しなみに思ふこと 羅睺羅の如し
又説きたまわく 美しみは子に過ぎたるは無しとのたまへり
至極の大き聖すれ 尚し子を美しむ心あり
況むや 世の中の蒼生 誰か子を美しまざむ」
山上憶良が子を思う心情の吐露が特異というワケではありませんね。これが古来奈良時代、西暦600後半~700年代の人の当たり前。誰もが感じる当たり前。
今の時代はいかにも狂っています。
尚、「羅睺羅」は釈迦十大弟子の一人ですが当流正信偈の次に拝読頻度の高い「阿弥陀経」にもその名は登場しますね。
山上憶良は子たちを残し遣唐使(702年)として遠方を往来したこと、そして仏教というものに造詣が深かったことが推されるところです。
「衆生を等しなみに思ふ」羅睺羅のような為政者の不在は致し方ないの諦めもありますが、子を美しむ親というものの存在が普通になったとすればいよいよこの世は恐ろしい。
画像①②は西方寺本堂前の歌碑。
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小山昭治 (水曜日, 30 1月 2019 09:15)
すごかったですね。相良人のオンパレード。
良い宣伝でしたね。
私は本来「ファミリーヒストリー」は嫌いで見ていませんが
ブログを見て、相良が出るというので仕方なく見ました。
有名人の歴史を探って何がおもしろいのか。嬉しいのは本人だけ。
太鼓持ちではないか。 今でもそう思っています。
これからも見ないでしょう。
でも相良が関係すれば見ます。
また何かありましたらブログへカキコしてください。
今井一光 (水曜日, 30 1月 2019 20:06)
ありがとうございます。
了解です。
できるだけアンテナを張って情報を仕入れたいと思います。
それにしてもあそこまで相良に踏み込んできた番組は無かったような。
思わぬところでいいものを拝見させていただきました。