昨日ブログ「錆は鉄より生ずれど~」の身から出た錆び・・・について。
まぁそう断言してしまうのは少々気の毒ですが何か体に良くないモノを摂取しつづけて(食べ続けて、飲み続けて)、体調を壊してしまうというタイプのものとは違った「業」が引き起こす災難についての所感を。
昨日、今年初めて浜松辺りから遠州豊田のららぽーとまでぶらつきました。
奥方の買い物の付き合い、要は運転手です。
自身結局何も購入するに至りませんでしたが、流行りのインフルエンザにだけは罹患できないと一日中マスク姿でいました。
まぁ大した効果は望めぬ気休めとは思いますが商品など触れるものにも注意して、車に乗るたびにボトルで持参した紅茶を一口やりながら除菌シートで手を拭くなどしてやり過ごしました。
この日特に印象に残ったのがこの件。
3~4歳の幼児を乳母車に乗せた若いお母さん。
目を疑った光景はその乳母車の子供は黙々とそのお母さんのスマホの画面をスクロールしている様子。
なるほど、幼児のあやし方でスマホは絶妙のグッズと聞いたことがあります。
その時考えました。自分ならどうするのだろう・・・
私の場合、子供の成長期にはスマホなどありませんでした。
しかしゲームは大嫌いですので子供にその種の端末を買い与えることはありませんでしたが・・・。
今後もし孫などとの「出会い」があって、その子のあやし方として嫁っこがそれを許容したとしたら・・・「お前どうすんだ・・・」の自問です。
勿論その回答は「ありえない」ですが、できればそんなバカ嫁だけは息子にはカンベンして欲しいと思ったのでした。
しかし、嫁に来てくれるだけで「有難い」のが最近の事情。
悩ましい時代です。
成長期にスマホの画面を見続けるとどうなるのか・・・
まず視力が落ちるのは想像がつきますね。
あの至近距離で視神経を一定の距離で固めてしまいますので、近視眼になるのは当然でしょう。
また、各時間の無駄遣いの他に脳の方に影響が出ないワケがないことも推測がつきます。
数日前に成長期のスマホのやりすぎで「急性内斜視」になる子供が多くなったというニュースがありましたね。
要は視力ではなく黒目がスマホの焦点で固まって内側に寄って戻らなくなること。
そういった症状の子供が3年前から3倍に増えているといいます。
斜視になるとどう見えるか・・・二重に見えてしまうので大抵は片目でモノを見るようになるそうです。
最悪、手術で治すようですが、こればっかりは親が推奨容認した結果の「禍」ですからね、まったくバカみたいな話です。
まともな母親はスマホを気軽に子供に渡すようなことはしないでしょう。一時の「自分の時間」を作ろうとしないよう。
子供がそれでおとなしく静かにするというのは麻薬を投与しているようなもの。必ず弊害は出現するに決まっています。
これは一種の責任放棄でもありますね。
もっと違う方法の選択を願いたい。
社会がそれを認知しないと・・・
さて、駿府の系統としては珍しいというか、意外な人の名があります。これも家康の名家好きというところでしょうか。
それが佐久間勝之、信長家臣団の「佐久間」です。
時代の流れに立ちまわって生き抜いて、戦国最後の大きな選択肢、関ケ原では東軍に回って名跡を残しました。
佐久間勝之をクグれば一目瞭然、彼が名目「仕えた」者は天下あるいはそれに準ずる名主ばかり。
織田信長から始まって→柴田勝家→佐々成政→北条氏政→蒲生氏郷→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光の名が。
時に逃亡潜伏という期間もありますがこの居並んだ名を見て「うまい」という他はありませんね。
関ケ原、大坂と徳川政権の盤石さを固める戦いに貢献し、大名となって「駿府城加番」に。終焉の地は駿府だったわけです。
彼の墓があるといわれているのが駿府城近くの顕光院。
墓地内で一番古そうな墓ですがこの五輪塔には掲示板の一つも立っていないのは寂しいことです。
これは文献等確固たる証拠がないためなのでしょう(場所はこちら)。ただし古さと大きさから彼の墓という信憑性は高いかと思われます。
顕光院本堂前の水盤に記された「丸に三つ引き」は佐久間氏の家紋です。
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