高野瀬城を示す今一つの石標と石塔たち

師走の暮れから新年にかけてお寺にはたくさんのお参りがあります。そんな中まず大抵の第一声は「御無沙汰」の声が交わされることになります。

沙汰無し」については以前ブログで記したことがありますが、

ある意味それは悪いことではありませんね。

「何事もなかった」ということでもありますから。

 

しかしその会話の中で多かったお話がこの「御無沙汰」の遠因についてです。

「私あるいは妻が、または夫が入院した」というもので、共通するその病とは異口同音に脳卒中。

幸いにして退院しリハビリに移行している方もいれば転院を繰り返して専門の施設での生活を余儀なくされた方などそれぞれです。

後者の方は「妻が家にいない寂しい正月になった」と仰っていました。

 

世の医学技術向上の進捗は目ざましく将来的に死滅した脳細胞の再生が可能になるなどの話は耳にするようになりましたが、今少しの時間を待たねばなりません。

長期に床に伏していれば筋肉も落ちてリハビリも難しくなりますね。

その寂しい思いにどうすることもできず、その件お聞きするに残念無念の気持ちで一杯でした。

 

また別の方は兄弟がその病で倒れ、看る者が近くにいないということで週に何回か病院に通っているとの件。

子供さんは遠方に居て「どうにもならない」といいます。

しかしそれは内心子供なら「どうにかすべき」事案だと思いました。

たとえそれが娘であって他家に嫁いだ身であったとしてもです。妻の父母の介護のための苦労を惜しむ夫などいないでしょうに。

目をそむけることはできない現実です。

 

とにかく脳梗塞・心筋梗塞等、血管系の病気の後遺症からの脱却は困難を極めます。

長生きという時間の享受は確かなものとなりつつある今、私たちはその質を高めていく努力をしていかなくてはなりません。

 

さて、高野瀬城のつづき。

昨日の近江愛知郡誌の踏査図には中山道の先の馬場が見えます。かなり城域としてかなりの大きさを推ることができますね。そのエリアの散策で早々にもはや探索は徒労と思わせるのが大きな工場の存在。

宅地造成というどうにもならない現代の要請については致し方ないにしろ、あの企業の敷地に一旦入れば完膚なきまでといっていいほど遺構は残りませんからね。

学校などの教育機関であればその「余裕」から空間として利用価値はありますが、営利を目的とした企業では敷地を遊ばしている余裕はありませんからね。

 

その工場の前にも昨日のものより立派な石標があります。裏側の文字によれば昭和40年に建てられたもの。

また近くには見かけた石仏たちに祠も。

これらは十分に室町期を推測できるものです。

祠の脇道を行けば昨日の石標があります。