ツブテの弥七(「親鸞」)『印地』 井宮神社石合戦

昨日私のスマホに入った速報ニュース。

日本が「国際捕鯨委員会(IWC)を脱退しました」の件は驚きでしたね。

先般その予告ニュースがあったもののどうせトランプと同じだろう程度、いやそうあってほしいと考えていましたが今回の脱退宣言にはちょっと驚きました。年末のドサクサ狙い。

 

一番その政治的センスの無さを感じたのは、株式市場で海外投資家から売り浴びせを喰らってどん底の現状、海外から総スカンの委員会脱退のうえの「商業捕鯨やります」宣言は、いかにも空気が読めていないという他ありませんね

 

日本憎しを増長させかねない舵取りで捕鯨関係者以外の日本人の名誉と評価を傷つけなければいいのですが。

突飛な社会逸脱をイメージする「脱退」など、いかにもみっともない。

それによる受益者を見ていけば脈略のおおよその見当はつきますがね。

「突飛」と言えば飛んでくる石。

その件天狗から抛(ほう)られた石コロが飛んできそうな邪(よこしま)な判断がなされたとしか思えません。

ちなみにどこから飛んできた石の事を天狗の仕業(天狗礫)といわれることがありました。

 

話変わって私の子供の頃、子供たちがいがみあいになってその「石」~現在と違って住宅内の道路は舗装されていず、石ころだらけ~を手にして威嚇、あるいは実際にそれを投げ合って喧嘩がエスカレートする場面がありましたが、そういう場合は必ず「石はダメ」と大人の介入があったものです。

 

すると子供うちの中で「石は卑怯」という思考が出来上がり、成長するに従ってそれは順守すべきことと頭の中に刻まれてきたものです。まぁそんな中でも「掟破り」はいるもので、どうにもならなくなって石を手にする子供も。そんな時はみな蜘蛛の子を散らすように逃げたものでした。

 

ただし歴史的に「紛争」「戦争」「裁判決着」に於いて「石」について語ればまず主役に踊り出さんばかりの有効な武器でした。それほど安直で簡易な兵器はありませんからね。

それでいてその対人威嚇傷害能力は決して小さいものではないことはだいたい了解できます。

あんなものが当たれば大抵は大けがは免れないでしょう。

 

投石に特化して技術を磨いた専門職「印地」(「石うち」か・・・)

の存在がありますね。ちょっとした投擲工夫をしてより遠くに、そして早く、俊敏に投げられるよう腕を磨いていたといいます。

「印地」といえば五木寛之の「親鸞」に「白河の印地打ちの頭」として登場した「ツブテ(礫)の弥七」なる人物がいました。

 

日本における大戦中に動員された兵隊のうち野球経験者などは手榴弾の投擲専門係として前線に配備されたと聞きますし、その正確に投げること命中させる投擲技術は原始的戦いに特に重宝されたものです。

戦国期の戦闘の開始はまず①ヤジの言い合い罵り合戦に始まり②投石・弓・矢というのがスジですね。

城跡を歩いてそこここに石礫の存在を見かけますが守城戦ではそれら事前確保は当然のことだったはずです。

 

また石が飛び交うことを「神意」(上記天狗礫)と解する考え方もありますし、かつての裁判事案について双方言い分の解決方法として石の投げ合いをさせて(石合戦)勝った方がその訴訟に勝利するという司法判断もあったと聞きます。

要は「石が当たる」ことは神慮であって神が決めたことというものでしょうね。たとえケガをして死に至ったとしても。

トランプ風に言えばどこから投げられた石がたまたま私の頭に当たってケガをしたとしてもそれはいわゆる「神がかり」。

黙って受け入れろということですね。

果たして自身の頭に石が降ってきて、それで納得するかも見物ですが。まぁ「人間到処有青山」ではありませんがどこで何が飛んできて痛い思いをさせられるかわからない時代ではあります。

 

さて先日、ブログでは山岡鉄舟の駿府井宮の邸宅跡について記しましたがその近く、「妙見下」交差点のちょっとした高台には井宮神社があります。

元は北極星を象徴とする北辰妙見菩薩が祀られた妙見寺という寺があったといいます。

 

若き頃の家康はこの丘の上から安部川で行われた石合戦を観戦したそうで(場所はこちら)その際、「無勢」側の勝ちを予想して結果その通りに勝ったという伝承があります。

多勢は烏合、無勢の様子は統制が取れた「戦略的」を見抜いたからだといいます。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 27 12月 2018 09:07)

    IWC脱退もわかります。捕鯨反対は私には日本いじめに見えてました。
    捕鯨をしていない国の投票が多くいつも否決。少しの捕鯨は資源の減少が止まったのだから
    良いにしてくれればこんなことは起きなかったと思います。
    鯨食文化があっても消費が減れば自然になくなるものです。
    全面禁止がもたらした結果ですね。水面下で「少しなら黙認するよ」が欲しいものです。
    私はIWCがかたくなだからこうなったと思います。柔軟な判断が欲しかった。
    これで鯨が食べられると言っても知れたこと。
    韓国の犬食も鯨お同じ、自然になくなるものだと思います。
    取り上げると欲しくなります。反発したくなります。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 27 12月 2018 12:52)

    ありがとうございます。
    特に脱退という尋常でない非協調性をもって国と国民の品位を損なったことに対して
    違和感があります。
    その「イジメ」を主導しているのもそもそも米国ですね。
    脱退によって南極海の調査捕鯨は不可能になったということで鯨の捕獲数は
    減少するというデータもあります。
    と考えると今回の勇ましい決断は・・・ただのパフォーマンスであったのかとも感じられなくもありません。
    私は海洋動物鯨類に対して保護意識がありますのでそれらを口にすることはありませんが。