あのニュースに違和感があった方は少なくなかったのではないでしょうか。
日本が「国際捕鯨委員会」(IWC)を脱退するという件。
国際協調の名のもと戦後の我が国は国連はじめ各方面の会議に顔を出して発言し色々な声を聴いてきました。
そういった国際的融合感覚の維持こそが日本という国と国民の鷹揚で前向きな社会の力量を感じさせるもので、それら国際レベルでの交渉の場の尊重こそが世界的な平和維持の感覚に繋がるというものです。
私はその「国際捕鯨委員会」の「脱退」という語彙を聞いて、かつて歴史の教科書で見た当時の新聞の「松岡用右 堂々国際連盟を脱退」といった見出しを思い起こしました。
その時も日本の正当性のみを主張して「相手にせず」的主張がなされていましたが、今回の捕鯨委員会脱退もまったく同じような。
トランプの右に倣えのような「自国第一主義」なのかも知れません。
要は「都合の悪い、耳に障る事は聞きたくないし自分の主張が通らないならやめる」であってこれではガキの使いと同じです。世界に対して面目なしですね。
そして何よりその二文字に潜む独善的決別と問題放棄の雰囲気は子供の教育のためにならないですね。
脱退理由は「日本の食文化の維持」とかいう体のよさそうな言葉を並べているようですが、しかしちょっと待ってください。
私の感覚で鯨食などまったく文化などとは言い難いものがあります。
我が家でここ半世紀の間、食卓に上がった鯨肉など見たこともありませんし、小学校の給食以来それを食した覚えがありません。
特に以後「鯨を食べたい」などと思ったことはないですしそもそも「おいしい」という感覚もないですね。
時々ブラつくスーパーマーケットや魚屋さんで鯨の肉などが並んでいる様子も最近は殆ど見られなくなりましたし。
にも拘わらず「国際協調」の時代に「脱退」などという勇ましい言葉。「交渉」できないから「やめる」に他ならない無能振りの露呈でもありますが、他の会議でそれと同じように他国が「いやいや」をして脱退をほのめかしたりした場合、それを抑止することなどできませんね。
「お前もやめただろ」と反論されて絶句するだけです。
それが政治力による脱退方向の舵取りであると言われていますがそうであったとすれば何しろ稚拙。
商業捕鯨推進派といわれる人物との関連性といえば捕鯨船の拠点がある山口下関は安倍、沿岸捕鯨の町、和歌山県太地町は二階の両氏の地盤でした。ちなみに松岡は山口県出身。
地元の票と密着した裁量が国際社会であたかも日本人すべてを代表するかのものと判断されることは解せませんね。
世界のみなさん、大部分の日本人は鯨が食べられないからとヒステリックになって「皆と仲良くしない」などと考えていません。アメリカ国民があの暴走トランプをコントロールできないことと同じなのです。
もう一度言います、鯨やイルカは海で泳ぐ姿を見て癒されます。少なくとも私と私の家族は鯨を食べなくても十分に生きていけます。また、それが日本の文化であるなど考えたこともありません。
一番重要なことは協調。
何も今時「大好きな同盟国」の皆さんが訝しく不信に思うことを「強行」することにいったいどんなメリットがあるのでしょうか。
これも政治家大好きの「お国のため」の物差しのうちでは最低の選択と思われますが。
画像①②はジンベイザメで鯨ではありませんがかつて友人が働いていた沖縄記念公園の図。相当前のものですが・・・。
当時、イルカや鯨を喰ってやろうなんて連中は近くに一人もいませんでした。
海でも水族館でも「愛すべき同類」に会えた事を喜んだものです。
ただし彼らにとって水族館にいるということは自然ではないのでしょうが・・・。
人間は勝手で傲慢な生き物です。
生物多様性と環境問題の世界の焦点は「海洋」です。
そこのところ、ポイントを外せば四面楚歌というか、少なからず説得力というものが欠落して他面の発言力はいよいよ弱まって孤立していくことでしょう。
カネさえバラまけば付いて来ると思っていると見られているのもお寒いことです。
脱退による溝が多くの説得力を失います。
相手に納得していただくことは大切なこと。
政治家の力量でもありますが。
これは無理でしょう、諦めています。
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