スポーツの世界で会社クラブの承諾を得ずに移籍(非円満移籍)した選手が無期限で大会に出場できないとする規程があるとのこと。
以前は各スポ―ツ世界では当たり前の慣例だったそうですが、選手をゲームの駒の如くに扱うのはよくないという風潮も浸透して改善の方向に進んでいるようです(ラグビー・バレーボール等・・・)。
しかし、ニュースではこのほど日本実業団陸上競技連合の未だに修正されないその規定に公正取引委員会が独占禁止法(自由競争)に違反(不当な制限)しているおそれがあるとして調査に乗り出したといいます。
スポーツ界の閉鎖性については最近特に目立ち始めて色々な場所で問題が勃発(体操・ボクシング・レスリング・相撲・・・)していますが、オリンピック開催の花の汚点になるのがそれら因習ですね。
私が連想したのは「構」です。
似た字の言偏の「講」は当流お馴染みの「報恩講」など仏教的法縁に会するもの、そして大きく寄り合い的グループを言いますがそちらは木偏で「構」。
単純に今は「かまえ」という意味から構造物のことと解すればそれで足りますが、歴史用語で「構」(かまい かまえ)といえぱ
刑罰を意味します。
それが一言で「追放」の刑、「構」ですね。
特に有名なのは「奉公構」という嫌がらせに近い再就職禁止の触れによって浪人し一旦は僧職にまでなった夜討ちの大将の異名(「言い触らし団右衛門』- 司馬遼太郎)を持つ塙直之~塙 団右衛門(ばん だんえもん)~がいましたね。
主君加藤嘉明と対立して出奔したことから嘉明に奉公構を出されます。
団右衛門は結果的に大坂方に組して後世に大いに名を残しましたが不運だったのは加藤嘉明の奉公構の及ばない(格上の)小早川秀秋や松平忠吉の禄を食むに至ったことがありますがその二人とも病没、改易され度重なっての浪人生活を強いられたことですね。
十分に当時の世情や勢力関係を知り尽くしているはずの団右衛門が順風(徳川方)ではなく逆境(大坂方)を選択した気概は見た者を面白がらせますが、やはり生きてこそです。
まぁ戦場以外に彼の頭角を現す余地はなかったのでしょうが。
小早川秀明の病没については精神的に病んだこともあって致し方ないとは思いますが松平忠吉の死に関しては徳川家同等、彼のガッカリ感はひとしおだったのかも。尚、松平忠吉に団右衛門を紹介した小笠原吉光は忠吉の墓前で追い腹を切っています。
封建時代の確固たる主従を意図するその構でしたが明治期に刑罰としてのそれは廃止されたはずでした。
にも拘わらずその手のことが今のスポーツ世界では行われていたということは少々驚きました。
「規制は存続する」とそちら(実業団陸連)の方が言い放っていましたが、世論というものが盛り上がればいずれ解禁せさるを得ないでしょうね。今時、「奉公構」風の規制など・・・
画像は関ケ原「東首塚」にある井伊直政と松平忠吉の陣跡。
以前の画像の使いまわしです。
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