先日97歳で亡くなったお婆さんの件。大正十一年生まれでした。
私が寺に入って以来、押し車をガラガラと押して拙寺にお参りする姿を拝見していました。時に途中の商店に「車」を乗り捨ててタクシーをつかまえて訪ずれることもありましたが。
何しろ歩くことに関して苦にならるということがない人でしたね。歩くことによって足の筋肉が維持されそれこそが健康増進に繋がるという「実証」をされたような方でした。
あたかもその「歩くこと」が運動機能のみに効果があると早合点しそうですが、それだけではありませんね。
犬も歩けば・・・の如く外歩きをすれば誰か人と会います。
そこで話が色々弾むというワケです。
おしゃべりは大切です。
まず歳を重ねて「どうでもいいこと」となりがちな「体裁」を整えること(刺激を受け)になります。それはいわゆる若さの維持ですよ。
またおしゃべりは気づきにくいのですが口の中の筋肉の維持につながります。会話の中で唾をのみ込むことがいいのですね。
それが誤嚥性肺炎の予防につながるのです。
重篤な年配者の終末原因の一つになりますので。
「おしゃべり」というと時に人から揶揄されたりする鼻つまみモノとなる雰囲気がありましたが、今時「寡黙」など流行りません。口数少なく家に居たっきりだと次第にニコリともしなくなってしまいますよ。
外の空気のうまさをもっと知るべきですね。
それから外歩きのメリットは「ビタミンD」ですね。
要は日光に当たるということですが、外歩きをすれば何も考えなくてもその件達成できるというもの。
よって「歩く人」は長生きができるのです。
日焼け止めの使用によってサンゴ礁を壊している件、最近言われるようになりましたがバカみたいな美白ブームというものはいい加減「体にも悪い」ということも知らなくてはなりません。
日光を浴びると癌になるなどの警告がありましたが、すべてが右に倣えで滑稽このうえなし。
ほどほどに陽の光は浴びなくてはね。
またビタミンDの効能は骨だけでなく、免疫力はじめ抗癌作用もあると聞きます。
さてビタミンと言えば牧之原ではビタミンB1を発見した鈴木梅太郎(了見寺)がいます。以前は堀野新田から地頭方あたりをウォーキングという企画があって了見寺の墓参りもそのコースに入っていました。
最近のウォーキング企画と言えば田沼関係が多いような気がしますが・・・(以前のウォークのちらし)。
地元出身加藤剛が鈴木梅太郎役をした「先生のオリザニン」なる演劇も催されましたね。
梅太郎は東遠義塾(榛原・川崎)の戸塚国次郎に師事したそうですが、その戸塚国次郎は慶應義塾に学んで福沢諭吉の直弟子の如くの人で旧川崎町の町長になった人でもありました。
まぁ「戸塚」の姓を見れば勝間田氏からの残存系譜というものをイメージしますが、当時その戸塚国次郎といえば今の牧之原市周辺ではかなりの顔だったようです。
ということで先日記した蜻蛉洲(あきつしま)の軸を記した人がその戸塚国次郎でした。
所有者が史跡研究会のAさんでその出どこが同会のBさんだったのです。画像はBさんから提供されたもので、戸塚の縁者になります。その際現所有者Aさんが不在だったために全体のアップは控えました。
そもそも「なんでAさんが持っているの」という大疑問が生じましたがそれはいつものことといえばいつものこと。
拙寺の丸尾月嶂の襖の修復記などもAさんが所有しているといいますので。相良の不思議です。
さて、その元の所有者Bさんの住んでいた場所といえば地頭方。
川崎(榛原)地区の戸塚国次郎と地頭方との関係は不詳ですがあの掛け軸の冒頭の「蜻蛉洲」あきつしまは地頭方の地でも見ることができます。
地頭方の「地頭方辻」(交差点脇)の小高い山の上「地頭方鎮霊(しずたま)神社」です(場所はこちら)。
実は上記ウォーキングコースにも入っています。
もともとは神社ではなかったようですが、廃軍艦の大砲をモニュメントにした「表忠塔」なるものが大正十五年に建てられたことから地頭方を中心に周辺の各大戦に出征し、戦没した人たちの慰霊塔と兼ねて神社が建てられたようです。
その艦船の名称が「秋津洲」でした。
その名は日本の艦船の名として伝承されていますがこちらは明治期の防護巡洋艦。
当時の技術では日本製はまだのようですね。
イギリスの武器会社「アームストロング」の名「No.46」が判読できます。
しかし砲身の少し上部に貼り付けられたプレートには「埼玉県川口町 山崎寅蔵作」とありました。川口といえばキューポラの街ですが・・・
この狭い牧之原のエリアに「蜻蛉島と秋津洲」。
字は違えども意味は同じの「あきつしま」がごく近くに見えました。
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