駿府城金箔瓦発掘の件 私は11月22日以降に

天気良好の日はまず片付け作業。

 

駐車場脇の車庫の中をやっつけようと・・・地頭方処理場に1回と夕刻からは市内の買い取り屋さんへ向かいました。

車庫は2つ並立していますが、現在片方は物置化しています。

小田原→横浜金沢区→相良と二度の引っ越し荷物がそのまま放り込んでありました。中には梱包すら解いていないものも。

とにかく不要と思われるものは横付けした軽トラに積み込みましたが他に未使用の瀬戸物等が「爆発」的に山積みされていましたので処理場で投げるよりはマシということでリサイクルショップに持ち込んだのでした。

 

どうせゴミだから「ゴミのような金額」しか出ないでしょうし断られでもしたら徒労となるので「ヨシにしよう」と奥方に言ったものの「処理場ならおカネがかかるが逆におカネがもらえる」と説得されました。

私は境内寺楽市で最悪タダというのはどうか?との案を提示しましたが、「こんなものを使う人はいないし面倒」ということで一蹴されてしまいました。

 

査定に1時間以上かかって私は「家で寝ていた方がマシ」とブーブーいいながら外の車の中で待ちました。

案の定何点かは門前払いですべてが「C級品」の査定。要は5円10円が殆どでした。

ちなみに未使用の折りたたみ傘が3点ありましたが査定価格は1個5円で15円。店頭ではそれと同じものが350円で並んでいたそう。5円で仕入れ350円の値付けとは・・・物凄い利益率。

いい勉強になりました。もうい行きたくないですね。彼の店のための仕事をしていたような・・・

 

さて、既にニュース等新聞紙上にもありましたが、駿府城発掘でこれまで知られていなかった事が判明しました。

家康時代の天守の下には今川時代の城館があったとは言われていますが今回発見されたのは中村一氏の天守のよう。

家康の天守とは場所が少し離れているということで新発見。

野面積の石積みということから「家康時代ではない」というのがその推測の根拠ですが、もっと「凄い」と唸らされたのが大量(330余)の金箔瓦が出土したということ。

家康は瓦に金箔を施すなど趣味の悪い黄金趣向はありませんね。

 

瓦に金箔を貼るのは関白(秀吉)の仕業でしょう。

これは駿府に豊臣政権の威勢を示すことに意義があったということかも知れません(小和田先生)。

 

今週の土日20、21日9:00~16:00に静岡市は急遽現地説明会を催すとのこと。私は都合がつきませんので11月22日(木)からの展示会を覗きに行くつもりです。

 

④⑤慶長十二(1607)駿府城天下普請「築城図屏風」より。