私の心のふるさと(色々ありますが・・・)の滋賀県というところは真に面白い情報を流します。
「今年のツキノワグマの出没予測」というものですが、やはりその獣について私どもとは違って、より滋賀県民にとって身近な生き物だということがわかります。
静岡でそのような情報を流す慣習はありませんから。
牧之原市内では以前その目撃の噂があったりしますが、まずはカモシカあたりの見誤りでしょうね。単発であって続報というものが途絶えますので。
最近になって当地のカモシカの出没話は結構聞くようになりました。あれと藪の中で出くわせば一瞬驚いて「すわ、クマ」と思っても不思議はありません。私の場合は慣れっこになってしまいましたが。
滋賀のクマニュースに関して今年は人の居住区境界への出没が「多そう」とのこと。
ドングリが不作ということで食を求めての彷徨とのことですが、私がこれからのシーズンに美味い空気を吸いに城歩きなど兼ねて歩きたいとその趣向を求めるエリアといえばむしろ彼らの居住区の方ですからね。
琵琶湖周辺の山には隈なく生息数が「ある」ということを知らされただけで滋賀の山に足を踏み入れる事を躊躇います。
私が思うに雪が降る前のこの時期ほど快適な散策はないのですが、彼らの冬眠前の絶妙な果実捕食時と重なるというのは痛いですね。最近のクマは「冬眠しない」なる話も聞きますしそうなればうかうか厳冬期も歩けなくなりました。
奥方と滋賀県内を歩くことがありましたが、その時はつくづく思いました。
クマと遭遇したとして、果たしてうまいことやりすごせるか・・・もし我先にトンズラしたとしたら家庭崩壊に成りかねませんからね。かといってクマではいかにも分が悪すぎます。
さて当ブログにてかつて幾度か(たしか2回)「For a Few Dollars More」なる語を好んで使用していますが、これは私が中学高校時代に何度も見た(以前は頻繁にテレビ放映されていました)映画のタイトル(原題)です。
C・イーストウッド好きということもありますが、そのタイトルは特にお気に入りです。こうなると一生モノですね。
煩悩まみれの私は当たり前、人間というものの性質をよく表した語だと合点して口ずさんでいます。
状況に応じて「a Few Dollars」の部分をその失敗に至る欲求の対象を変えて言うこともあります。
この「格言」的示唆は最後の「More」がイイのです。
日本語の「もっと」や「もうちょっと」のところですがその「あと少しだけ」の余計な欲求が往々にして致命的に至るという人の本性の空しさを感じさせます。
これは、老子の「足るを知る者は富み(知足者富)~」とは真逆の指向であって物欲その他もろもろ「もっと富むために・・・」ですからね。
要はそのリスクを取る考え方は「私は大丈夫だろう」「少しくらいなら」の慢心でもあります。
「敗事多因得意時」と同じですね。
今年はドングリの実が少ないといいますが、山にキノコたちの生育は豊かなようです。
その収穫は年配者の楽しみでもありましょうし、農家の現金収益の一助になっているとも聞きます。
私はそもそもキノコの有毒無毒の判定はできませんしその味覚についても良し悪しの判断もできませんので興味の外なのですが、ニュースではキノコ狩りに出向いて滑落等の死傷事故が今年は多数あると聞きます。
その件奥方と語っていると「お前も、『あと数枚の墓を撮る』などと欲を張って事故るなよ」と。
「墓を欲張って墓に入る」のはさぞかし皮肉だとも。
私はすかさず「獲る」「取る」「盗る」ではなく「撮る」だからと言い逃れようとしましたが、「心の充足感は同じ」であってそこにも慢心があるのだとの仰せ。
やはり常に自分というものは疑ってかからなくてはなりません。映画のタイトルを胸に抱いて成長してきましたが、仏から見たら小賢しさと「変な自信」ばかりで危うい事このうえなしですね。
画像は以前奥方に連れていかれた彦根の千成亭。
その時は近江の山城登りを計画しましたが、クマのいるエリアではなく彦根市街地の牛の昼食を強要されました。
仕方ないですね。
やはり私独りで歩いた方がいかにも効率的です。
独りだったら昼食などにのんびり時間をとることはありませんしクマ出没の際ののちのちのゴタゴタを想像しないで済みますから。
花木伝右衛門は彦根藩士。
彦根藩は江戸期に牛皮加工と牛肉生産(屠殺)を公認されていた唯一の藩でしたが花木は「牛肉を食す」という今では当たり前の食材の最初の道を開いた人でした。
勿論、当初は「薬剤」―「反本丸(へんぽんがん)」として御禁制除外の言い回しがあったのですが、いつしか禁制もなし崩しになって献上品ほか多様な加工も広まり人々の口に入って行ったのでしょう。ただし庶民の口に入るまでは明治以降まで時間がかかります。
この店は近江牛・・・彦根牛という日本で最初に公然と牛が食べられた地の由緒ある店です。
最後の画像は彦根市内袋町の別館の「華見」です。
こちらは少しばかり敷居が高かったので遠慮いたしました。
私どもが入ったお店は①地図の通り。
⑤の植栽が外の明るさによってその影が室内⑥に映っている図。普段は行かないような、私にとって柄でもない場所ではありましたが近江彦根の歴史の一面を知ることができました。
尚「柄でもない事をするからだ」はイーストウッドのある映画の吹き替え台詞の一つ。自重しろ調子に乗るなの戒め。
映画に育てられたということかも知れません。
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小山昭治 (土曜日, 13 10月 2018 09:03)
想い出しました。彦根の町の研修で千成亭?の前を通りました。
高いだろうな~で通っただけでした。
夜は研修後2次会であたりをぶらぶら。
その時は確か2軒のはしご。昔の銭湯を改修した事務所で
研修しました。夜の飲み屋は賑やかでした。
近くに大学もあり、若いネエチャンもいました。
今井一光 (土曜日, 13 10月 2018 19:45)
ありがとうございます。
夜の彦根をほっつき歩いたことはありませんが一部賑やかな場所もあると
聞きますしきっと楽しそうです。
バスツアーなどでのんびりと夜の彦根を楽しんでいただくというのも一案ですね。