午前の法事とお斎は喉の具合含めて体力的にいっぱいいっぱいとなって長めの昼寝をとりました。
私の喉の質というものは以前からあまりよくないことはわかっていましたが、これほど今回の気管支炎風の咳が長引くとは想像だにしていませんでした。このまま厳冬期に入って風邪でもかかれば相当長引いてしまうのでは・・・と少々心配でもあります。
この今回の私の「土蔵病」はやはりその手の古文書あさりの経験のある方では「結構あるある・・・」の様のようで、少しは安心しましたがある方は「2か月かかった」とその完治に時間が必要であることを告げられました。
それでも治ったという事実が大切ですね。
慢性的気管支炎にでも発展するかも・・・という不安もありましたから。
そろそろ処方された薬が切れますので今後は日々ハチミツで喉を潤して様子を見ようと思います。
その日の夕刻の正信偈は案外と声が出て自分でも驚いたほどです。
さて、先日ある人が相良の「汐見台に住んでいる」と。
「へ~え、それはそれは」とニヤニヤしながら嫌味を言ってきました。
汐見台に住む檀家さんや知り合いもいらっしゃって、その方々にはそのような失礼はストレートに言ったりはしませんが当人もその事情についてよく知っていますし、そんな不躾な談も気にしない人ですので思いついたことをずけずけと言い放つ私がありました。
汐見台(その上の高台の晴海台)などいう地名は今となっては大抵の相良人ならば通じる名ですが、私がその名を知ったのはそれほど昔の話ではありませんね。
私のイメージとしては小堤山の南、「むら池」から飯津佐和神社につながる田圃の広がる谷で、その昔といえば下りの畔道を自転車でフルスピードで直滑降遊びをする場でした。
特に二人乗りでゲラゲラと爆笑しながらそのスリルを味わったことを思い出します。
その地が不動産デべと町が組んだのか分譲されて汐見台・晴海台なる名称が付けられたのを知ったのはだいたい20年くらい前のこと。
小ぎれいな家がどんどん建って人気の住宅地と化していました。
するとしばらくして入居者からは「水が出ちゃって」という声があちこちで上がってきたのでした。
なるほど、田圃を埋め立てたのですからそうなることも有り得ますね。地盤改良も当然になされたでしょうが、まして元々は水が溜まるような地形でした。
ということは今はやりの液状化も考えられますし、周囲の山を開削していますので山側でしたら山津波も想像できますね。
波津・須々木あたりの低地よりは高くなっていますが150号線からもストレートの開口部があるため、もしやの高波もコースを変えることなく流入するであろう立地になっています。
そこで今回私が知ったそのキラキラネーム「汐見台」(場所はこちら)の古い字名。
古地図にはなんと「波津谷」と記されていました。寛政二年の地図で史料館の長谷川氏から。
「波津谷」・・・などの名はとってもおどろおどろしい。
読みは「はずのたに」か「はずのや」か不明。牧之原台地の北に「金谷」という「谷」を「や」と読む場所がありますので「や」が正解かも。
近くに「波津ノ谷公園」の名称、古字のヒントとなる名が秘かに存在していました。
古い地名は橋の名や公園に残るというセオリー通りですね。
波津谷の名のある古地図②には鳥居と社殿が記されていますがそちらが飯津佐和神社。
③地図の青〇が「むら池」があった場所で今は地元ではBGといえば通じます。
私は中学校時代の夏の日に鮒釣りに出かけましたが、諸先輩より「女の人がそこで浮かんだ」という強烈な事実を知らされてからあまり気分のイイ場所ではないと思ってから敬遠、忘れた頃に気づけば埋め立てられてBGの体育館とプールに変わっていました。
むら池は樋尻川(鎌倉時代の古き相良湊)の源流のような位置にあって古来からその池で育ったカモたちの子孫なのでしょうね、そちらにわずかに残る排水池で今も尚抱卵し雛を育てて旅立たせています。池らしきものが少しでも残されたことは良かったと思います。
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小山昭治 (火曜日, 09 10月 2018 09:38)
昨夜はありがとうございました。
これで、我が家なりの「お勤め」が終わりました。
咳が出るとお袋が作ってくれた特効薬は
大根をさいの目に切り、そこへ蜂蜜を入れて一晩そのままのしておくと
水?が出ます。それを飲むと咳が止まりました。お試しあれ。
蜂蜜だけでもいいですが。
例の銅販ですが、家にあった石版と間違えていたかも。
コロイド液を垂らしてエッチング、製版した版ですから大、小ありました。
絵図の元の版下は、キャビネ判位だったかも知れません。
今井一光 (火曜日, 09 10月 2018 20:13)
ありがとうございます。
さっそく奥方に頼んでみます。
石板についてもいつか拝見させていただければと興味がわいた次第です。
それにしても毎度私の正面に居た永田さんの不在は寂しいものがありました。