8月末からの体調の変異は原因がわかっているとはいえ初めての経験であり、大袈裟に喩えますがまるで「死のシミュレーション」のよう。
良寛さんが言った「死ぬ時節には死ぬがよく候」の如く阿弥陀さんにおまかせしている身ではありますが、先日も記しました「懐恙以為宝」の語の通り、有り難くもその変異(無常)を味合わせていただいております。
こう天候不順続きというのには閉口します。
土蔵内は勿論湿気が上昇するでしょうしカビどもが繁盛するに最高のコンディションになっているでしょうから。
少なくとも晴れの日が2日以上続くという確証がない限り残りの整理に着手しようという気はおこりません。
昨日は劣悪コンディションではありましたが夕刻より小さい(全部で3人)ながらの某宴会のセッティングを依頼されて私もその席に顔を出しました。
まぁ恒例の運転手ということですが地元の面白話が聞けるということで無理にでも出たくなるのです。
当然にして「何その咳?」ということになって土蔵整理の斯斯然然の事情を伝えれば「刀や金銀財宝の有無」について振られます。その1人の方は刀の砥ぎの先生ですので土蔵と言えばその話になるのは当然の事ですしかつて相良の古い土蔵を整理していて小判を発見した事もある人です。
私は「小島蕉園」が3本「山岡鉄舟」が1本出たと伝えました。
やはり蕉園の書の存在は希少ということで私同様その意義の大きさを指摘(地元限定ですが)していましたが「鉄舟」の件はいつもの通り。
そのスジの理解度の高い方ですので「鉄舟」と聞いて拙寺から出たことが間違いなく(真贋判定に出所と所有者は重大要素)とも「やはり怪しい」と。
上記リンク先にある「鈴木鉄舟」はここ相良で夥しい量の鉄舟と泥舟の書を乱発しているといいますので・・・。
先生には今度の発見は鉄舟が布施家に転がり込んだついでに、拙寺に立ち寄って記した可能性があると主張しましたが・・・
そういえば先般視聴した「鑑定団」に三舟(鉄舟・泥舟・海舟)の書が出ましたが偽物でしたね。私は博物館・史料館以外で「三舟」といわれた場合まずは「ニヤリ」としてしまいます。
先生は刀剣の砥依頼について「物凄く少なくなった」そうで「仕事がない」と仰っていましたが年齢の件(視力の低下)についても自虐的でした。後継者が名乗り出たとしても「やめておけ」のよう。
しかし特に仕事がしずらくなったのは「いい砥石」がないということ。
砥石あっての砥師なのですが以前のような砥石にはなかなか出会えなくなったことをこぼしていました。
たとえばどのあたりの「砥」で妥協するかもありますが、注文の多い(うるさい)客には、4本分の砥石代を別に請求するといいます。
それは4本に1本まともな砥石に出会えるかという確率からその数字になるのですが完璧主義者の客にはそれでもダメなら5本目6本目の砥石代金の出費もありうることまで了解してもらうそう。それが嫌なら「他へ行け」と言い放つと。
ちなみに砥石は刀を研いでみて初めてその良い悪いがわかるそうで価格は1本5万円といいます。
その方は利益を考えていませんので(少なくとも私にはそう思えます)東京あたりの価格からすれば相当安価で引き受けてくれますし、以前にも記しましたが「クズ刀」(先生)には「捨てた方がマシ」と平気で「本当の事」をズバリ伝えてくれます。
蔵の中から出た刀、どなたかのコレクション等の対応にお困りの方がいらして警察に処分依頼をする前に、よろしかったら相良にお持ちください。
私もその手の話には顔を突っ込みたくなる性質ですのでご紹介いたします。
もしかすると・・・ですね。
無論「紹介料よこせ」などいう野暮は言いません。私はあくまでも興味本位とブログネタのみ。棄てたい方は捨てればイイ、依頼したい人は交渉してください。最低限いい勉強になります。
画像②は先般「人を斬った刀にお経をあげて」という依頼に応えた件。
本意ではなかったもののご本人が納得していただければと。
③は昨日も話題にあがった重要刀剣の「高天神兼明」。
最近の鑑定員は「神」の字の「ハネ」の有無を真贋の対象のウェイトにおくことを嘆いていました。
山内一豊が土佐に連れて行った高天神には「ハネがなし」であることを指摘されていました。まぁ土佐の高天神となると時代は下りますからね。
①は土佐からみで「菜々ちゃん」(「夏草の賦」司馬遼太郎)。
明智光秀の大河ドラマ前には読んでおきたいお話です。
彼女はウルトラマンの目が売りです。
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