天気予報を見ると青い空には当分お目にかかれないような曇天印がズラリ。秋晴れの1週間くらいを味わいたくまた「高い空」を懐かしく思います。
先日息子と「ボランティア」について話しました。
このボランティアについてはその経験の有無について就職試験で面接官が時として振ってくるネタだとも聞きます。
要はその経験について回答者から「人のなり」を見るというものですね。
学校としてもその推奨はポイントなのですが勉学とお遊びに忙しい書生さん方には思い切りがつかないかと思います。
「ボランティア」は無償で尚且つ相手の迷惑にかからない影のような存在だけれども働きアリになりきることです。
そして得るものとしては「経験」のみです。できれば笑顔でそれに励めれば至上の価値ある経験となるでしょう。
息子にもそのあたりのところ加味して「2~3日でも行ってこい」と言えば「じゃあカネくれ」でした。
近場のボランティアを探しましょうということで話を収めましたが、今話題になっているのが東京パラリンとオリンピックのボランティアの件。
8万人を募集するとのことですが、かなり評判が悪いようで。
勿論のこと無償、交通費ナシ、宿泊費ナシですね。
「輝かしい祭典」でそれを「やらせてやる」風の高ビーな物言いのも感じますが登録からかなりの面倒さも伴うよう。
それらに不興を買って何やら登録者がその数に届かないような雰囲気が漂っています。
まぁ「遊んでる学生諸君」に対しての強制発動的コメントもあって不愉快千万。
今月の26日から募集開始のようですが8万人も集まるのでしょうかねぇ。
最近になって「1日1000円出す」とトーンが変わってきているようですが却ってカチンときますねぇ。
そもそも「ボランティアじゃあないじゃん」です。
真のボランティアというものは「華やかな場所」ではなく、本当に困っている人がいる社会の目立たないところにあるものです。
もしも私が会社の採用担当者でその質問をしたとき「オリンピックの・・・」などと返ってくればもはやマイナスイメージしかありませんね。
まぁその有無について他者に評価をうかがうというものではありませんが。
裏方に徹した無名の力添えであって対価のない経験が大事と思います。
それにても拙寺住所地については不思議でなりません。
現在は「波津」で統一されていますがちょいと以前は免許証には本籍地として「相良」の地名が入っていました。
その辺りの件は以前にも記していますが、当地が「相良」だけに「相良」住所で何ら問題がないのではと思われますが「相良」の区割りは別にありますからね。
ここはあくまでも「波津」(飯津佐和乃神社より)。
要は新町の本通り相良城前にあった寺の再建にあたって旧住所「相良」を反映して飛び地としてこの波津の地に建てたということですが、その件昨日の書面によっても判ります。
「相良新町大澤寺」との署名がありました。
地元の方のみにしかこの感覚は捉えがたいところがありますが、「新町」=「家康が拓いた町」の意があってそもそも今の波津の地を「新町」と呼ぶことはありません。明治六年の段階で公文書に「新町」を使用していたことも驚きでした画像①。
②③は既出の文書ですが「遠江国榛原郡相良町百六十五番」に「同相良字波津百六十五番」。「静岡県遠江」とまだ静岡の言い回しに自信の無さが浮き出ています。
今の郵便配達のシステムはまずは「郵便番号」がベース。
私の子供の頃は「静岡相良大澤寺」で郵便物は届いたものでした。
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小山昭治 (金曜日, 21 9月 2018 09:56)
本寺は「本願寺」のみで西、東の区別はないのですね。
私にとって「新町」の概念は「シンマチ」は
相良町相良、「シンチョウ」は今の「本通り界隈」と
なります。
静銀より東の商店街?は「しんまち遊(ユー)ロード」と言います。
彼らからすると私たちは「シンチョウ」だそうです。
どうでもいいことですが。
今井一光 (金曜日, 21 9月 2018 10:40)
ありがとうございます。
よく見ていただければ「東派」とか「大谷派」との記述が見えます。
相良の「新町」に関しての「シンチョウとシンマチ」の微妙な感覚は
私の住まいが少しばかり離れているということでとらえ方がちがいますね。
両方とも聞こえてきますが私の読みは「シンマチ」です。
東側のシンチョウと西側のシンマチは後世になってわかりやすくするために便宜上
そのように呼ぶようになったのでしょう。
家康が鷹狩り陣屋を設ける以前は町や街のイメージはなかった場所でそれによって拓かれていったのでいずれにせよ「新しい町」で問題ないのですが。