お気の毒としか言いようのなかったのはあの関西空港に缶詰めになった3000人のお客さんたち。
西本願寺の被災も酷かったですが、あちらの施設は数百年を経る時代物で関空ときたら今の技術の粋、ハイテク施設ですからね。
まぁいつもながらお国の顔に関わる「みっともない」「恥」と吐き捨てたくなる事案です。
あのざまが日本のハブ空港とはいやはや。
またまたそしてあの言葉「想定外」の語を耳にしました。
責任ある者はだいたい想定外の事の発生を想定して仕事をしなくてはなりませんので、結果的にその語を吐いた者は「ただの責任逃れの弁」にしか聞こえませんね。気持ちはわかりますが。
何もない海の中に人工の空港島を作ること自体常人には思考の及ばないところですが多くの常識的反対意見、「50年後には沈むよ・・・」等々をなんやかんやと封殺して「平気平気」と言う具合に大枚つぎ込んで完成させたのが関空。
そして当初から沈下の憂き目にあって毎年その対応に追われているそう。まあ「20世紀末の三大バカ事業」(他の二つは本四連絡橋・東京湾アクアライン)と仰った政治家もいらっしゃるとのことですから。
地球温暖化による海水面上昇と大型台風頻発も想定外で済ますというのですかから、びっくりしちゃいますよ。
タンカーの係留の失策によって橋が壊れたのはわかります。しかし安定的システムの維持というものは少しの人為的ミスがたまたま重なれば大きな想定外なる事案が発生することは想定していただかなくてはね。
入退路を道路と鉄道を同一の橋にすることはコスト的に一番に考える発想でしょうが1度の寸断ですべてが止まってしまうというのはいただけませんね。
そもそも事故実態の把握と情報の伝達についてのスタンスが欠落しすぎ。3000人のお客には「なぜ足止めされているのか」「今どうなっているのか」など詳らかに「欲しい情報」を提供できないのか・・・きっとお役人気質というものがあるのでしょうね。利用者利便の親身よりも自身大切の重要を思ってしまいます。「俺は歩いて渡る!!」などという人が出るのが困るのでしょうかねぇ。片側車線は生きていましたから。
直接損失と逸失利益についてどうなるのかちょっとばかし聞いてみたいものです。
さて、今年の嵐はいい加減にこれでおしまいにしていただきたいところです。寺社の古い建物が崩れた姿を見せつけられて心苦しいものがあります。また工事用の足場が吹き飛ばされている映像を見せつけられて思い出すのは拙寺の屋根工事の際に無事で済まされたこと。あの年の夏は何故か台風の上陸はありませんでしたから。
しかしながら拙寺だけが「不思議なご縁」を頂いているなどとは申しません。
画像は先日のお上への報告書のつづき。
以前ブログにて拙寺「波さん」が持ち帰った麻布善福寺の聖人御縁のイチョウの乳を材に作られた聖徳太子尊像について記しました。
真宗寺院は勿論ご本尊は阿弥陀如来ですが、余間には七高僧と並べて聖徳太子像の軸を掛けるなどしていますが、別に太子堂を建てて木像を置く場合も散見されます。
先日来土蔵から出てきた書面を整理していますが、その中から拙寺にも太子堂があったということが判明しました。
この件、父・祖父からは勿論「そんな話は聞いたことがない」ことでまさにびっくり。
その内容は
太子堂の存在とその本尊として木像があって尚その太子像は成瀬隼人正の寄進とのこと。そして風難にあって損壊したということも。おそらく台風の直撃があったのでしょうね。
そして正門について。
四足門が安政の大地震で崩れていた事も知りました。
今の門は大正時代に再建されたと聞いています。
門の再建はあっても太子堂の再建にまでは至らなかった・・・ただそれだけですね。しかしその後伊達藩江戸屋敷から波さんが御免となる時に戴いた聖徳太子像はきっと先方のはからい、リクエストを受けてのことだったと思った次第です。
②太子堂があったのはきっとソテツの下あたり。
以前は無縁墓が積みあがっていた場所です。
現在は円形に礎石らしいものが敷かれている様子を見ることができます。
あの辺りを掘り返したくなりました。
コメントをお書きください